松本山雅社長が語る監督交代 「名波がそれを言うとは」

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吉田純哉
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 「第一声の三つの言葉を聞いた瞬間、『あっ、この人なら』と思った」。J2松本山雅FCの神田文之社長(43)が、新たに就任した名波浩監督(48)誕生の舞台裏を明かした。Jリーグに参入して10年目。松本は急成長してきた反動で、2季連続の監督解任となった。シーズン途中に日本代表の名選手だった名波監督を迎えて、どうクラブ作りを推しすすめていくのか。神田社長に聞いた。

 「呼ぶにふさわしい方に来てもらった。名波監督にしかできない仕事をしてくれている。ゴールをめざす、前にボールを運ぶ、ボールを奪い返すという方向性を定めてくれた。その経歴、人間性で、選手がすっとチーム方針を理解できたのは大きい」

 松本は「Jリーグの優等生」と呼ばれる。2019年まで8季指揮した反町康治氏(現日本サッカー協会技術委員長)とともに二人三脚で、2度のJ1昇格を果たした。ただ反町氏が去ってから、布啓一郎氏、柴田峡氏と2季連続で監督解任となった。

 「クラブも戦略的に反(町)さんに食らいついて成長してきたけど、反さんから卒業した2年は、絵に描いたように苦しんでいる。練習場の雰囲気を見ると、反さん時代は選手に緊張感があった。布さん、柴田さん時代は、選手はポジティブでも、緊張感が足りなくなってきたのかもしれない」

 本来攻撃好きな反町氏は、予算規模の小さい松本で勝てるチームをめざし、守備的な戦術を採用した。選手との関係も一線を引く手法を選んだ。だがJ1に上がった15年と19年、得点力不足でわずか1年でJ2に逆戻りした。J1の舞台で通用するために、松本は昨季から攻撃的なサッカーへの方針転換を図った。

 「選手にも指導者にも反町色が染みこんでいる。ボールを握ろう、山雅からアクションしようという中でバランスを崩した。整理がつかないまま、現場にマネジメントさせてしまった」

 今季は半分以上の選手が入れ替わり、来季への土台作りのシーズンと位置づけていた。柴田氏にはシーズン当初から今季限りでの監督退任を伝えていた。

 「ハードワークする、インテンシティーを高く保つという『山雅らしさ』は、反さんが残してくれた大きな財産。どんな指導者が来ても、変えたくはない。柴田体制にも、最低限やってもらいたいことだった。その中で、来季どういう監督が合うのか見極めたかった」

 柴田監督の更迭が、クラブ内で最初に浮上したのは、初の最下位になった4月下旬だ。その後チームは5試合負けなしで勝ち点を積んだが、内容は乏しかった。5月下旬から4連敗すると、解任を決断した。

10年越しで実現した「名波監督」

実は、松本山雅は2011年シーズンのオフにも、名波監督をリストアップしていました。当時断られた理由を神田社長が明かします。あれから10年、神田社長は複数の監督候補の中で名波監督との面会にこぎつけました。「あっ、この人なら」。名波監督の第一声に、心を撃ち抜かれました。

 「柴田さんには『選手に響かなくなっているなら代えるしかない』とずっと話していた。試合で流れが悪くなると、選手がふてくされるような場面が散見された。努力はしているけど、報われない空気感があった。空気を変えられる人がいいな、と」

 監督候補は春先から例年以上にリストアップしてきた。他の監督にも状況を確認してきた中で、名波監督と話し合いの場を設けた。1回目の第一声を聞いて、後任選びを一本化した。

 「『諦めない』『さぼらない…

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この記事を書いた人
吉田純哉
オピニオン編集部
専門・関心分野
スポーツ、文化、教育