肥薩おれんじ鉄道「コロナ後に活路も」社長退任の出田氏

聞き手・城戸康秀

 熊本地震1年後から肥薩おれんじ鉄道(本社・熊本県八代市)の社長を務めた出田貴康氏(64)が16日、退任した。沿線人口の減少など経営環境は厳しさを増し、コロナ禍や豪雨被害も重なった。激動の4年間と同鉄道の将来について聞いた。

 2004年に熊本の八代駅と鹿児島の川内駅を結んで開業した肥薩おれんじ鉄道は、両県と沿線市町などが出資した第三セクター。当初はJR九州からの出向社員がほとんどだった

 「プロパー社員の採用が本格化したのは10年以降。13年に観光列車『おれんじ食堂』を始めるために、営業部をつくりスタッフを採用してきた。組織としてはまだ若い会社で、これから大人になっていくところ。将来の会社を支える人材の育成を心がけてきたが、道半ばだ」

 食事を提供する観光列車の草分けとしておれんじ食堂は好スタートを切ったが、3年後に起きたのが熊本地震。17年春の出田社長就任後も客足は落ち込み、回復しなかった

 「先行利得はあったが、実は各地の三セクが追随して17年には全国で20以上の観光列車が走るようになっていた。私自身も含めて熊本地震に原因を求めた甘さを反省している。このマイナスが大きく、社長としての自己採点は35点」

 18年には有名シェフの監修を受けてメニューを一新するなどおれんじ食堂にテコ入れを図り、同年11月には同鉄道と沿線を舞台にした映画が公開された。フェイスブックなどSNSでの発信にも力を入れてきた

 「投稿者の顔や人柄が出る投稿は人気があり、特に2人の運転士の投稿には多くの『いいね』が集まる。最近はあまり口を出すことなく、ほかの社員たちにも任せているが、フォロワーはまだ1万人にも達していない。ビジネス的にはまだまだ」

 営業赤字は18年度以降、7億円近い水準に。打つ手が限られる中でも、台湾鉄路管理局と姉妹協定を結んで相互交流の足がかりをつくり、自転車をそのまま列車に持ち込むサイクルトレインも実現させた

 「安全を重んじる鉄道会社の伝統は大事にしたいと思うが、それが『こんな時はこうするものだ』という単なる固定観念になっているものもある。そんな意識が変革を拒み、社内の常識が社会の非常識と言われることがないよう、社員には言い続けてきた」

 昨年7月の豪雨ではトンネルが埋まるなどして八代―佐敷(熊本県芦北町)間は約4カ月の運休に追い込まれた。自然災害とコロナ禍で、各地の三セク鉄道はトンネルの出口が見えない状況が続く

 「地域の公共交通をどう確保していくかという問題は、社会の変化を踏まえ十分に議論される必要がある。鉄道かバスか選べと言われれば、個人的には向かい合う乗客の間に会話が生まれる鉄道の方が地域の交通機関としては好ましいと考える」

 「コロナ明けの旅先として、都市部から離れた鉄道の方が選ばれる可能性もあり、今は『その時』に備えることが大事。おれんじ食堂で提供している沿線の産品を家々にも届ける物販など、ささやかでも地域の一員としてできることはある」…

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この記事を書いた人
城戸康秀
阿蘇支局長
専門・関心分野
地方自治と地方政治のあり方、災害と地域振興