記者が感じた「クライマーズ・ハイ」 野心と苦い思い出

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 この春、30年ぶりに群馬に赴任し、もう一度読みたくなった本があった。日航機墜落事故を報じる地元紙の内側を描いた『クライマーズ・ハイ』(横山秀夫著)だ。520人が犠牲になった未曽有の大事故。騒然となった編集局が生々しく描かれている。私自身の苦い経験も含め、「報道とは何か」を考えたい。(編集委員・小泉信一 60歳)

 乳白色の濃い霧があたりを包む。群馬県上野村の「御巣鷹の尾根」。山開きとなった先月29日、慰霊碑や登山道の手入れなどをしている「山の管理人」黒沢完一さん(78)の案内で、尾根に向かった。

 1985(昭和60)年8月12日、520人が犠牲になった日航機墜落事故の現場である。あれから36年。道は整備されたとはいえ、急峻(きゅうしゅん)な山道が続き、なかなか脚が前に進まない。この日の取材には他社の記者も同行した。みんな20~30代。自分の息子や娘ぐらいの年齢だ。

 実は私が新聞記者になったのは事故から3年後の88年。初任地が群馬だった。県警特別捜査本部は同年12月、日本航空関係者12人と運輸省関係者4人、そして氏名不詳のまま米ボーイング社の修理スタッフ4人の計20人を業務上過失致死傷の疑いで書類送検。前橋地検は翌89年11月、関係者全員を不起訴処分にした。

 あのころ私は先輩記者たちの仕事を補佐するだけだったが、未曽有の大事故の重さに「何をどう取材すればいいのか」と現場から逃げ出したい思いだった。警察や検察幹部との人脈も築けず、記事が1行も書けないこともあった。ようやく地検の次席検事と親しくなったが、禅問答のような日々。「新聞記者、失格だ」と自分を責めていた。

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 その日航機墜落事故を題材に地元新聞社を舞台にした小説が『クライマーズ・ハイ』である。著者は上毛新聞の元記者、横山秀夫さん(64)。事故直後は2カ月近く、ほぼ毎日登ったという。

 12年間の記者活動を経て9…

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