広辞苑は京都生まれ? お人よしな編者の仰天エピソード
まだまだ勝手に関西遺産
京都市北区の閑静な住宅街で、道に迷った時だった。古いお屋敷の門前の石碑にふと目が留まった。
「新村出博士旧宅」
どこかで見覚えが――。そうだ。国語辞典の代名詞ともいえる広辞苑の編者、新村出(しんむらいづる)(1876~1967)の名だ。ならば広辞苑は京都生まれか。旧宅が「重山(ちょうざん)文庫」として一般公開されているというので訪ねてみた。
「祖父がこの家で広辞苑の編纂(へんさん)にあたったのは間違いありません。ですが多くの人が関わってできたものですのでね……」
そう奥ゆかしく語るのは文庫を管理する孫の恭(やすし)さん(74)。明治の元勲・木戸孝允の邸宅を大正時代に新村が譲り受けたという屋敷で迎えてくれた。
山口に生まれ、東京帝大で言語学を研究した新村は、30代で京都帝大の教授となり京都へ移り住んだ。その後、広辞苑の前身となる「辞苑」や広辞苑などの編纂は、ここを拠点に東京の出版社や各地の執筆者とやりとりを重ねたという。
書棚に広辞苑の初版から最新の第7版まですべての版と増刷(ましずり)が並ぶ。「増刷ごとに修正が入るので、同じものは一つとしてありません」
修正した項目に何百もの付箋(ふせん)が貼られた第2版なども展示され、辞書編纂の苦労がうかがえる。
高峰秀子の大ファンで
古今東西の文物に通じた博覧強記だった新村だが、いわゆる「孤高の学者」ではなかった。「本人の性格に加え、京大の自由な学風も影響したのでしょうか。分け隔てなくいろんな人とつきあった。その人脈が辞書編纂に生きたのだと思います」
広辞苑初版の後記には項目の執筆などに携わった湯川秀樹・朝永振一郎らそうそうたる学者の名が並ぶ。
そのフランクな人柄をしのば…
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