他区イジりで始まった 役所っぽくない区の広報紙が終幕

後藤遼太
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 【兵庫】お役所らしからぬ面白さが人気だった神戸市灘区の広報誌「なだだな」が、今月発行の第39号で23年の歴史を終える。住民らが主体となって地域の「おもしろネタ」を掘り起こしてきた。名物企画の終幕に、惜しむ声が上がっている。

 「長田区が寅さんに登場した。少しうらやましい」「NHK『甘辛しゃん』も東灘区が主役。実にうらやましい」

 1998年4月発行の記念すべき第1号は、こんな他区イジりから始まる。「普通の役所広報やったら、こんなノリ許されへんでしょうね」。創刊号から編集に携わってきた慈(うつみ)憲一さん(54)は笑う。

 発行は区役所だが、編集を担ったのは十数人のボランティアだ。創刊は阪神・淡路大震災の3年後。街が復興する中で、風景は移ろっていた。「アイデンティティーの喪失があった。自分たちの街がどんなんやったか、きちんと残したかった」と慈さんは話す。

 取材や編集経験がある者はいなかった。ただ、集まった「普通のおっちゃん、あんちゃん」たちの雑談が、めっぽう面白かった。座談会形式をそのまま載せるスタイルが定着した。

 「灘区に五輪選手おるの知っとう?」。こんな一言から生まれたのは「ナダリンピック」特集。ちょうど北京五輪(2008年)の年で、区内のスポーツ施設の歴史を掘り起こした。

 「ウルトラセブン」のロケ地が区内に数多くあることを突き止めたのも、「俺、ポインター号(ウルトラ警備隊の車両)見たで」という編集部員の自慢話が発端だ。ロケ地ツアーをした際には、ヒロインのアンヌ隊員を演じた俳優のひし美ゆり子さんも飛び入り参加。全国からファン数百人が押し寄せた。

 04年発行の第14号は「もしも灘区に…があったら…」がテーマの「灘区空想未来図」。「サンフランシスコみたいなケーブルカーを山の手から浜手まで走らせたら?」と、摩耶山から水道筋商店街を通って沿岸部までを結ぶ構想をぶち上げた。

 「空想」は、13年に「坂バス」という形で実を結ぶ。路線開通の際の記者発表資料には「サンフランシスコの坂を走る路面電車のような小さいバス」とある。「区の職員に『もしかして…?』と聞いたら、『そうなんです』とニヤリと笑っていましたね」と慈さんは振り返る。

 そんな人気の広報誌も、編集と発行を担った灘区民まちづくり会議が昨年5月で解散したため終了が決まった。

 最終号は約130カ所で5千部が配布されている。ツイッターでは、「残念。灘を知るための指南書だった」「最終号と知り衝撃」など、惜しむ声も多い。

 「ファンも多いので、少し別の形でも継続したい」と慈さん。灘区は「今後は違った形での情報発信をしていきたい」としている。(後藤遼太)

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