暗闇のなか、泣き叫ぶ少年たち 裁判官は決断した
みなさんは「家庭裁判所」という言葉を聞いて、どんな印象を持ちますか? 縁が無い人には、イメージしにくい場所かもしれませんね。「家庭に光を 少年に愛を」。そんな標語を掲げて戦後間もなく発足した「家裁」こと家庭裁判所誕生の陰には、熱意あふれる裁判官たちの存在がありました。彼らの理想は、10年前の「あの日」にも大きく発揮されることになるのです。
「息子がいじめられないように」
2011年3月11日夕。仙台家裁内部は散乱する書類や水浸しの床などで、手が付けられない状態だった。当時の所長秋武憲一さん(73)は、職員の安否確認などに忙殺されていた。心身共に疲弊し、目の前の対応で頭がいっぱいだった。
そんな状況のなか、母子が家裁を訪ねてきた。「この子の氏(うじ)の変更を、お願いします」。聞くと、自分が離婚して姓が変わるため、息子の姓も合わせたいという。4月から小学校に入るので、息子がいじめられないように。申し立ての理由を、母親はそう説明した。学校が再開できるかはわからない。それでも、息子が嫌な思いをしないように。がれきの中を、我が子を思う一心でこの母親はやってきたのだ。そう思うと何かがこみ上げてきて、秋武さんはしばらくペンを動かせなかった。
「どんなときも、家裁は人々のための存在でなきゃいけないんだ」。秋武さんの心に、灯がともった。その瞬間から仙台家裁は、福祉的側面に大きくかじを切ることになる。
その頃、管内の少年鑑別所は大変な状況になっていた。
ニュースが入らず、収容されている少年たちには何が起きているのかわからない。
「おかあさーん、おかあさー…
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- 【視点】
少し前の記事ですが、ちょうどNHKの朝ドラ「虎に翼」のエピソードで家裁の父こと宇田川潤四郎と殿様判事こと内藤頼博をモデルとしたキャラクターが活躍していて、とてもタイムリーです。 戦後すぐの立ち上げに際してのメッセージは「家庭に光を 少年
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