木造平屋築102年の愛され駅舎 撤去を止めた地元住民
大阪と和歌山を結ぶ南海本線の諏訪ノ森駅(堺市西区)は、各停しかとまらず、駅員も1人しかいない普通の駅だ。ただ一つ、改札脇の木造平屋の洋館が際だって目を引く。102年前に建てられ、一昨年に引退した旧駅舎で、高架化工事で撤去されそうになった。そこに待ったをかけたのが、「残したい」という住民の素朴な思いだった。
鉄道会社が生んだ町
駅がある堺市の浜寺地区は、古くからの高級住宅街で、この町の誕生そのものに、南海電鉄が深く関わっている。1897(明治30)年、「寂寥(せきりょう)たる松原であった」(南海電気鉄道百年史)この地区に停車場(現・浜寺公園駅)を開いた。そばには「東洋一」とうたわれた海水浴場や遊園地を造り、海浜リゾートとして開発した。堺市史によると、大正から昭和初期にかけ、一帯に別荘や屋敷などが立ち並ぶようになった。
諏訪ノ森駅の旧駅舎ができた1919(大正8)年は、そんな時期だ。駅舎にはアーチ状の窓や石張りの外壁、2人掛けの木製ベンチなど、町の雰囲気に合った洋風のデザインが取り入れられた。
1998年には、一つ南の浜寺公園駅の旧駅舎とともに、国の登録有形文化財になった。浜寺公園駅舎は東京駅などを手がけた建築家、辰野金吾の事務所が設計したのに対し、諏訪ノ森駅舎は「設計者不明」(南海電鉄広報)とされるが、意匠をこらしたデザインが特徴的。入り口上部の5枚のステンドグラスは特に評価が高く、松林が有名な浜寺の海岸から、沖合の淡路島を眺めた風景が描かれている。
開発で消えゆく町の面影
「ぼくらの世代は、この風景を見たことがないんです」。地元で生まれ育ち、駅近くで不動産店を営む長谷川琢也さん(58)はそう話す。堺市周辺の沿岸では1950年代末から工業地帯の埋め立て造成が始まり、今は巨大な工場が立ち並ぶ。浜寺の街も大阪のベッドタウンとして宅地開発が進み、古い街並みは姿を消していった。
かつての町の面影を残す諏訪ノ森旧駅舎にも、撤去の可能性が持ち上がった。2003年、周辺の線路2・7キロを高架にする工事の着工準備を国が採択。旧駅舎は工事中の仮線路が敷かれる場所にあった。
駅舎撤去の可能性 地元住民、自治体は…
長谷川さんも、工事の話を人づてに聞いた。高校時代に通学で毎日使った駅舎。夜、ステンドグラスから漏れる明かりが、遠くからでも鮮やかに見えた。「このままなくしてええんか」。
自治会や学校のPTAで顔な…
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