1964年東京五輪、開幕の日に 来夏開催の意義考える
伊木緑 斉藤佑介 山本亮介
新型コロナウイルスの感染拡大で1年延期された来夏の東京五輪・パラリンピックには、今も開催自体を危ぶむ声が消えない。開けるのか、開く意義はあるのか。関係者は苦悩する。日本中が熱狂した前回1964年の東京大会の開会式から10日で56年になる。
「やらないんだべ」
緊急事態宣言が明けた今年6月、出向して大会組織委員会で働く40代職員は帰省するなり、親から聞かれた。「まだ、わかんないよ」。そう言い返すのがやっとだった。
「五輪、どうせやらないでしょ」「元の職場に戻った方が良いんじゃない」
大会延期が決まった後、友人や仕事先からそんな言葉を投げかけられるたび、口をつぐんだ。「できないと言われること以上に、何も言えないことがつらかった。やれます、と言える材料を持っていなかった」
聖火リレーの中止、大会の簡素化など情報は常に報道で知った。観客を制限するのか、感染者が増え続けたらどうするのか。何も聞かされていない。
元の職場で組織委の辞令を受…
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