当時17歳の元ナチスに有罪 組織の歯車、追う意味とは

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ハンブルク=野島淳
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 第2次世界大戦中のナチス・ドイツの残虐行為に対して個人の刑事責任を追及する動きがドイツで今なお続いている。今月下旬には、強制収容所での収容者の大量殺害を手助けしたとして、裁判所で93歳の元看守が有罪判決を受けた。世論も責任追及を後押しするが、関係者の高齢化から訴追は年々、困難になっている。

車いすで被告席に、判決聴き入る被告

 判決を受けたのは当時少年だったブルーノ・ダイ被告。1944年8月~45年4月、ポーランド北部グダニスク近郊にナチスが設置したシュツットホフ強制収容所の看守だった。今月23日のハンブルク地方裁判所であった判決公判では、車いすに乗って被告席に着いた。裁判長が理由を読み上げる約1時間半、時折首を横に振ったり、遠くを見つめたりしながら、口を結んでじっと聴き入った。

 同所ではポーランドの知識人のほか、欧州各地から移送されたユダヤ人らを含め、約11万人が収容された。約6万5千人が病気や強制労働の末に亡くなったり、銃や毒ガスで殺されたりしたとされる。ナチスは「ユダヤ人問題の最終的解決」と称し、ユダヤ人の絶滅計画を進めていた。

判決、5232件の殺害幇助を認定

 判決は、ダイ被告が収容者の殺害に直接加わった証拠はないが、看守として収容所での虐殺状況を把握できたとして、5232件の収容者の殺害を幇助(ほうじょ)したと認定。執行猶予付きの禁錮2年を言い渡した。

 検察側は「被告は看守からの転属を求めるべきだったのにしなかった」などとして、禁錮3年を求刑。被告側は収容者の殺害状況などは認識しておらず、「看守の仕事から逃げられなかった」などとして、無罪を主張していた。

 判決の3日前にあった最終陳述でダイ被告は、自ら考えたという1枚の紙を青いファイルから取り出し、はっきりした口調で数分間、読み上げた。「もう一度、強調したい。私は親衛隊や強制収容所での勤務を志願したわけではない」

 グダニスク近郊に生まれたダイ被告は17歳の時、国防軍に招集され、親衛隊に転属された。戦後は捕虜として過ごした後、ハンブルクでトラック運転手や建物管理人などの仕事に就いた。結婚し、子どもや孫もいる。これまで、身分を隠すことなく暮らしてきた。

ドイツでは第2次世界大戦から相当の年数を経ても、ナチス・ドイツの行為に対して訴追の動きが相次いでいます。その背景についても記事の後半で探ります。

被告、最後に謝罪の言葉

 ダイ被告を見つけ出したのは…

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この記事を書いた人
野島淳
大阪経済部長
専門・関心分野
金融政策、欧州政治・経済、環境・エネルギー