(社説)国民審査 怠慢が招いた違憲判決

社説

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 最高裁の裁判官の国民審査に国外に住む人が参加できない今の法律は、審査権を保障した憲法15条と79条に違反する――。

 東京地裁は先日、そう指摘して、国会が違憲状態を長年放置していることに対し、賠償を命じる判決を言い渡した。

 最高裁は、国会が定めた法律や行政機関の処分が憲法に適合しているかどうかを最終的に判断し、ノーを突きつける権限を持つ。その裁判官を主権者が直接監視し、統制下に置くための仕組みが国民審査だ。

 地裁が「国民固有の権利であり、行使を制限することは原則として許されない」と述べたのは当然で、意義は大きい。

 国政選挙については、最高裁大法廷が05年に、在外者に比例代表区への投票しか認めていなかった当時の公職選挙法を違憲とし、法改正がなされた。

 だが国民審査法は置き去りにされた。その後、今回と同様の訴えが起き、東京地裁は11年の判決で賠償は認めなかったものの、憲法に照らし「重大な疑義がある」と警告していた。

 にもかかわらず政府・国会は何ら対応せず、今回も「裁判官の氏名を印刷した用紙を在外公館に送る必要があり、投票日に間に合わない」と弁明した。

 通信手段の発達などを理由にこうした言い分を退けた違憲判決は、政府と国会の怠慢が招いたものに他ならない。できない理由を並べ立てるよりも、実現させる手立てを考えることに精力を注ぐよう求める。

 折しも総務省は、ネットを使った在外投票の実証実験の準備を進めている。国民審査にも応用できるはずで、決して無理な注文ではない。

 国会などの動きの鈍さの背景に、制度の形骸化を指摘する声もある。たしかに人々にとって最高裁は縁遠い存在で、審査への関心は高いとはいえない。

 最高裁のホームページには、裁判官の経歴や関与した裁判の情報が載っており、審査前には公報も配られる。だが、紹介されている判決や決定の説明は難解で、国民に理解してもらおうという姿勢を欠く。情報発信の方法・内容とも、工夫の余地は大いにあるように思う。

 判断材料が充実してこそ、国民は自らのくらしや価値観に照らして、その裁判官が任にふさわしいかどうかを考えることができる。たとえば、一票の格差訴訟に取り組む弁護士らは、この問題を審査のものさしにするように呼びかけている。

 国民の信任を得ることにより司法の基盤は強まり、行政・立法に対抗する力をもつ。裁判員制度にも通じる理念だ。判決を国民審査の意義と課題について考えを深める機会としたい。

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