支援すべきは「優秀な貧困層」だけなのか 国立大値上げ論争の危うさ

有料記事ダイバーシティ・共生

ライター・ヒオカ=寄稿

Re:Ron連載「普通ってなんですか」(第2回)

 今年3月に開かれた中央教育審議会(中教審)の「高等教育の在り方に関する特別部会」で、慶応義塾長の伊藤公平氏が「国立大学の授業料を150万円程度に引き上げるべきだ」と発言したことが報じられ、大きな議論を呼んだ。大学全体の約8割を占める私立の側から、国立大授業料の引き上げの要望が出されるのは今に始まったことではなく、数十年来議論に上がっていることだと言う。

 さらに、日本の最高学府である東京大学が授業料の値上げを検討していることが明らかになり、こちらも大きな議論となっている。値上げに反対する学生らが学内でデモを行うなど、反発も大きい。今後全国の大学で授業料値上げの動きが波及していく可能性がある。

 国立大学の授業料の標準額は、約20年間据え置かれている。とはいえ、それまで昭和から大幅な値上げが続いてきた。

 1975年度の授業料の標準額は3万6千円。2003年度に今と同じ水準の52万800円となった。「国立は授業料が安い」はもはや昔の話で、今や4年間で200万円以上の授業料がかかる。

 もちろん大学を卒業するのに必要なのは授業料だけではない。生活費は社会人と同様にかかるし、教材やパソコンなどを買いそろえる費用などもかかる。それゆえ親を頼れない層はアルバイトと奨学金で賄う必要がある。

 それでも国立大は私立大に比べれば大幅に授業料が安いため、貧困層の大学進学において、公立を含め命綱といえる存在だろう。その授業料を上げれば、格差がさらに拡大することは容易に想像が付く。もちろん経営苦や研究などの質の担保のためという理由はあれど、国立大の授業料を上げることは、社会全体の利益に反するから反対という声は根強い。

 しかし、これからますます少子化が進むことなどを鑑みると、値上げの議論は避けられないのかも知れない。

 伊藤氏は、後のインタビューで発言を以下のように補足している。「国公私といった設置形態に依存しない給付型奨学金制度を拡充するなどの『アクセス保障』が欠かせない」

 仮に値上げが実施されるとすれば、様々な面で制度のデザインが必要になってくるだろう。

 私はもちろん、国立大の授業料値上げには反対だ。一方で、こうした学費値上げ反対という社会全体のコンセンサスがとれているのは、東京大学など優秀な大学が対象という面もあるだろう。

 値上げに反対なのは、優秀な人材が進学できなければ社会全体の不利益になるというあくまで投資の観点からで、「学ぶ権利の保障」という視点は抜けているように思う。この社会では基本的には大学進学は贅沢(ぜいたく)品という考えがデフォルトで、貧困層の進学をどこまで支援すべきかという議論においては、「優秀な貧困層のみが支援されるべきだ」という考えが根強いのではないか。

 そこに危うさを感じている。

 給付型奨学金の対象拡充の議論や、奨学金の返済に苦しむ若者の実情などがニュースになると、国公立に行けるような学生だけ支援するべきだ、私立に行くなら高卒で働くべきだと言った声が上がる。

「あなたみたいに努力」は本人の力?

 「大学は贅沢品か?」というテーマで記事を書いた時、児童養護施設から大学医学部に進学した女性に取材し、大学が贅沢品と一蹴されて経済的に頼る人がいない子どもが進学できなくなれば、社会の損失だという主張を伝えた。その記事へのコメントでは、「優秀な学生なら社会への投資なので贅沢品ではないが、Fラン大なら贅沢品だ」「志や学力があるなら行くべきだが、実際は遊ぶための人も多く、それなら贅沢品だ」などが多数の「いいね」を集めた。こういったコメントの「大学は贅沢品」の定義は非常に主観的で、他人が勝手にはかれるものなのか、と非常に疑問に感じた。

 私自身、貧困層から国公立大に進学した。

 父親は障害があったこともあり、仕事が安定せず常に転々とし、たまに無職になった。家庭は常に困窮していた。家に学習環境はなかった。具体的に言うと、勉強机がない、部屋にエアコンもない、さらに父はしょっちゅう激高し母親に暴力をふるうため、安心して勉強することができなかった。もちろん塾に行ったり通信教育を受けたりするお金などどこにもない。しかし、高校は進学校だったため、全員が大学進学を目指す雰囲気だった。参考書を買うお金がなく、書店で目星を付け、Amazonで中古で1円で出品されているものを送料250円で合計251円で買った。お金がなく運動系の部活に入れなかったため、美術部などに籍だけ置いて幽霊部員となり、放課後は公立の図書館で自習に明け暮れた。図書館は18時で閉館してしまう。でも家に帰っても勉強はできない。そこで、22時まで開いている市民ホールに移動し、自習を続けた。

 受験勉強にすべてを捧げた…

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    本田由紀
    (東京大学大学院教育学研究科教授)
    2024年8月7日13時0分 投稿
    【視点】

    きわめて重要な論考である。日本は「低所得家庭の大学生への援助」を「政府の責任」とみなす割合が、ISSP2016でデータのある35か国中35位である(拙著『「日本」ってどんな国?』表6-2)。田中祐児氏の研究(「貧困者の子どもの有無が貧困の帰

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