排除した理不尽1度だけ…24年前、慶応高ラグビーの歴史変えた事件

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野村周平

部活文化を問う

 慶応高(横浜市)のラグビー部にはかつて、雑用などでミスをした1年生を、3年生が延々と走らせ、しごく伝統があった。

 部員たちはそれを「まわし」と呼んだ。

 先輩が後輩をグラウンドで何周も「回す」ことからついた呼び名だと思われる。

 記者の私は慶応高ラグビー部の卒業生だ。41歳になった今でも、その言葉の響きを聞くだけで、何とも言えない暗い気分になる。

 そんな悪習に「区切り」をつけた人たちがいた。

 1997年度。のちに日本代表フランカーになる野澤武史(42)が主将を務め、28年ぶりに「花園」(全国高校大会)で準々決勝まで進んだ。

 私は当時、2年生の控え選手だった。

 野澤と副将のスタンドオフ加藤正臣(42)は、ともに高校日本代表候補に選ばれていた。他にも好選手がそろい、「今年は絶対に花園に行く」と本気だった。

 授業が始まる前に朝練をこなし、放課後は午後9時ごろまで練習した。

 野澤が独自に研究した筋力トレーニングにチーム全体で取り組むなど、それまでなかった試みも次々と導入した。

 同時に、無駄を省くことも進めた。慶応高は、会社員の監督らが休日しか練習を見られず、生徒主体のチームだった。「勝つために何が必要で、何が不要か。それだけを考えていた」と野澤。

 意義を見いだしにくい雑用も、理不尽なあいさつの強要もやめた。

 まわしも、そんな「無駄」の一つだった。

 加藤は、自身が1年生の時に受けたまわしのことを鮮明に覚えている。学園祭の日だった。他校の女子生徒たちの視線を浴びながら、走らされた。仲間の一人は、のどがカラカラになり、血の混じったつばを吐いていた。やるせない気持ちになった。

 「こんなことをしても何も生まない。無駄な怒りがわくだけだ」

 自分たちが3年生になったらやめよう。そう決めていた。

 最上級生になり、部のあり方を全面的に見直した。チームはいい方向に進んでいた。

 しかし、「事件」は起きた。

無造作につるされた慶応の象徴

 花園の県予選が間近に迫っていた9月のある日。早慶の付属校同士として古くから交流がある早大学院(東京都)と定期戦を戦った。それは予選前、最後となるメンバーのセレクションマッチだった。

 試合後。使い終わった黒黄(こっこう)の公式戦用ジャージーが、なぜか、グラウンドの金網に無造作につるされていたのだった。

 伝統の黒と黄色の段柄。大学も使う黒黄ジャージーは、慶応ラグビーの象徴だ。

 練習試合で着ることは、もちろんできない。選手たちは黒黄に憧れてラグビー部の門をたたく。大学では、多ければ100人以上に達する大所帯で、一度も黒黄に袖を通せぬまま卒業していく選手も少なくない。

 高校でもその重みは変わらない。管理を任される1年生は、試合の時以外は袋にしまい、なるべく人目につかないように、大切に保管するように指導されていた。

 試合後で汚れているとはいえ、金網につるすなど、言語道断だった。

 その事実が、3年生に伝わった。

「慶応の象徴」がぞんざいに扱われ、副将の加藤はある決断をします。そして20年以上経った今もその決断に悩まされています。

 野澤も、加藤も、気持ちが揺れ動いたことを覚えている。

 まわしなど、したくはない。

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 だけど、やってはいけないこ…

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この記事を書いた人
野村周平
スポーツ部次長
専門・関心分野
スポーツ行政、スポーツビジネス、五輪などの国際イベント
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    中小路徹
    (朝日新聞編集委員=スポーツと社会)
    2021年12月9日16時19分 投稿
    【解説】

     このかつての「まわし」の風習から読み取れるのは、過剰な上下関係と無意味な連帯責任という、部活文化の旧弊です。  チームの取りまとめは上級生に求められる役目ですが、しょせん、年齢は一つか二つしか違いません。下級生を「教育」するような差では

    …続きを読む