(フォーラム)何だったのか、東京五輪:2 ハードとソフト

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 東京五輪・パラリンピックの「レガシー(遺産)」をハードとソフトに分けて考えてみます。競技会場は有効に活用されているのか。バリアフリーの意識は浸透したのか。スポーツ界で社会に貢献できる人材は育ったのか。祭典から1年がたち、改めて課題が浮かびます。

 ■施設「赤字」でも、暮らし潤すため幅広く活用 東京都生活文化スポーツ局・柏原弘幸さん

 東京五輪・パラリンピックで東京都は六つの競技会場を恒久施設として造り、再開業が始まっている。収支がマイナスの場合、埋め合わせには都民の税金が投入される。担当する東京都生活文化スポーツ局スポーツ施設部開設準備担当部長の柏原弘幸さんに聞いた。

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 有明アリーナをのぞく5施設は維持管理費で年間11億円程度の「赤字」が見込まれている。

 「単純に赤字という見方をされるのは残念です。オリパラの舞台となった施設は都民がスポーツに親しみ、健康的で、潤いある暮らしをもたらす場です。パラスポーツの普及など、民間的な事業採算性だけでは必ずしも測れない役割も担っています。コスト削減に取り組みつつ、料金設定を低くおさえて広く皆様にご利用いただけるよう運営経費を行政が負担することは通例で、それを赤字とは考えていません。図書館や美術館などといった他の公共施設と同じでしょう」

 ボートとカヌーの会場になった海の森水上競技場の施設整備費は、招致活動のときに国際オリンピック委員会(IOC)に提出した「立候補ファイル」での試算では89億円だったのが、実際は303億円に膨らんだ。そうした見通しの甘さが、大会後の利用でも厳しい目線を向けられる理由では?

 「招致時点での試算で施設整備にかかる費用のすべては盛りこまれていなかった点はあります。他の候補都市と同じくIOCの基準で算出した数字なのです」

 「負の遺産」となるより、取り壊した方が将来的に公金の無駄遣いを避けられるのではないか、という意見もある。「更地にすれば確かにランニングコストはなくなりますが、東京オリパラを開いた記念碑である施設に都民に来ていただき、楽しんでもらうことはできなくなる。日本選手が金メダルを獲得して話題となったスケートボード会場は、本来なら仮設施設として撤去されるところ、アーバンスポーツパークとして生まれ変わり、五輪の記憶と共に、利用いただくことになりました」

 スケートボード会場の仕様は五輪に出るような上級者向けのコースで初心者には危険なのでは?

 「7月に開いた体験会では未経験者や初中級者も多数参加いただいた。オープンに向けては初心者エリアの整備も検討しています」

 再開業後の利用状況は?

 「カヌー、ボート、ホッケーなどの体験会や大会を開催しています。臨海地区の海の森水上競技場は眺望が良く、空が開けた空間を生かして、映画、ドラマのロケ地としても使われています。大音量や光の演出を気兼ねなく使える音楽フェスにも適しています。スポーツで活用するのが主目的ですが、幅広い活用方法を探っていきます。パラリンピックに合わせてバリアフリーの環境は整っている。指定管理を請け負っている業者とは経費節減、利用頻度アップの工夫を日常的に話し合っており、一般の皆さんからのアイデアもぜひ生かし、有効活用につなげたいと考えています」稲垣康介

 ■心のバリアフリー、地域でも 福祉の街づくりに詳しい東洋大名誉教授・高橋儀平さん

 東京大会が決まった2013年の6月、IPC(国際パラリンピック委員会)が出した「アクセシビリティーガイド」が、その後のバリアフリー施策に大きな影響をもたらしたと考えています。このガイドは、開催地が準備すべき施設やサービスについて、理念と方法を示したものでした。

 特徴は、06年に国連で採択された障害者の権利条約を踏まえていることです。障害者の尊厳や自立の尊重、自由に移動できるような環境づくりを求めています。

 それまで、競技場については国のバリアフリー法がありましたが、あくまで出入り口や通路など共有空間のみで、客席の利用のしやすさを考える基準はありませんでした。新国立競技場の設計では、障害者団体と設計者が一緒に話し合い、車いす席からの視界の確保、車いす対応トイレ、視覚障害者向け誘導ブロックなどを設置しました。新国立のバリアフリーは現時点の最高水準と感じています。

 また、移動や利用の自由という点で、公共交通機関や宿泊施設のバリアフリー化が進みました。海外から障害のある人たちがたくさん来ることが予想されていましたから。これまで「しょうがない」と諦めていたようなことに対して、当事者が「バリアフリーになっているのは当たり前だよね」と声を上げるようになった。バリアフリーが国民的課題として知られたことは、東京大会があったからこそと言えるでしょう。

 一方で、課題も残っています。先日、国連の障害者権利委員会が日本に対して勧告を出したように、障害がある子どもが学ぶ環境を自由に選べているかというと、まだ壁があると感じます。街中で当たり前に障害者が暮らしていけるように、地域に残る「バリアー」も認識する必要があります。パラアスリートの皆さんにも、日常生活の中で気になることがあれば、ぜひ声を上げてほしい。

 オリパラに向けて「心のバリアフリー」実現への機運が高まりましたが、地域の中で障害の有無を問わず知り合える環境が作られたかというと、そこまでは到達できなかった。小さい頃から障害のある同年代と付き合える場や環境が必要です。目に見える場所が変わることは、人々の心にも影響を与えるでしょう。

 バリアフリー化については、「東京は大きい街だからできるよね」で終わってはいけません。オリパラに関連した変化も、小さなことの積み重ねです。この経験や知見を全国に伝えないともったいない。パラアスリートやボランティアといった大会に関わった人には、その経験を個人の財産だけにせず、公共財として広く知らせてほしいです。(聞き手・藤野隆晃

 ■将来考えるのは、若者を中心に スタンフォード大学アメフト部コーチ・河田剛さん

 東京大会後、スタンフォード大のスポーツ部門責任者が私に言いました。「Only at Tokyo」(東京でのみ)だったなと。スポーツでも勉強でもトップレベルを意味する「Only at Stanford」という学生を勧誘する際のうたい文句がスタンフォード大にあるのですが、それをもじった皮肉です。

 あのコロナ下で犠牲者を出さずに五輪を開催できたのは東京だけ、という称賛の意味と、巨額の公金を使ってまであれだけの大きなエンターテインメントの大会をやるのはお人よしの日本人だけだ、という意味です。米国なら採算が合わないことはやらない。

 大会のために建てた恒久施設の年間収支が赤字なのは、20~30年先に現役世代ではない人たちが決めたからではないですか。これらは負のレガシーだと認め、どうすればプラスにできるかを考える協議会を作るのはどうでしょうか。スポーツリテラシーとビジネスに明るい人を集め、将来のことを本当に考えられる40歳以下の人だけにする。極端な話、中学生がいても良いと思います。

 米国ではスポーツをビジネスと捉えます。「商業五輪」が本格化した1984年のロサンゼルス大会では学生寮を選手村とし、96年アトランタ大会では、メインスタジアムが大会後に野球場になっています。2028年ロス大会も、アメフトの会場をメインスタジアムに改修しています。

 ロス大会の組織委員会会長はスポーツビジネス界で有名な実業家です。決して元首相や政治家、その友達ではないのです。他のメンバーもスポーツビジネスの経験者や学位を持っている人ばかり。一方、日本は政治家が出てこないとお金を動かせない。だから、スポーツは社会からばかにされ、ビジネスと同じ土俵で勝負させてもらっていないと思います。

 米国ではファンをとても大切にします。例えば、スタンフォード大アメフト部が子供向けサイン会をしたとき、ヘッドコーチは選手に「サインを欲しい子がいる限り、ロッカールームに帰ってくるな」と言いました。その子が将来、トップ選手や、ビジネスで成功してスポーツにお金を落とす存在になる可能性があることを忘れるな、というのです。

 東京大会の惨状を目の前で見たのに冬季五輪を札幌で開催するなんて、絶対だめです。日本は「スポーツビジネス発展途上国」ですから。百歩譲ってもしやるなら、28年ロス五輪の準備に若い人を派遣し、手法を学ぶべきです。

 東京大会をめぐる汚職事件の関係者は古い世代の人ばかり。レガシーがあるとしたら、将来のことを考えられる若い人を中心に今後のスポーツイベントをやるべきだと分かった。それだけです。(聞き手・加藤秀彬

 ◇五輪は国際オリンピック委員会による多種多様な競技の「セット販売」だ。開催都市は会場を造る責務を負い、東京大会は史上最多の33競技が行われた。

 恒久施設は大会後の活用が課題となる。都心の一等地で建て替えた国立競技場ですら収益性に疑問符がつくのだから、愛好者が少ない競技だと、より頭痛のタネになりやすい。

 公共の美術館、博物館も収支を考えれば「赤字」施設はある。文化、スポーツ施設の価値を単純に採算性で測るべきではないが、昨年の東京大会後の青写真は不鮮明だった。

 努力義務はスポーツ界も負う。競技団体は行政任せにせず、五輪仕様の立派な施設を「負の遺産」にしないよう大会誘致や愛好者の増加に汗をかくべきだ。選手は感動を届けたから後は傍観、では無責任だ。(編集委員・稲垣康介

 ◇アンケート「転勤やリモートワークなど、働き方の変化について、ご意見をお聞かせ下さい」をhttps://www.asahi.com/opinion/forum/で募集しています。

 ◇来週10月2日は「何だったのか 東京五輪:3」を掲載します。

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