(パブリックエディターから 新聞と読者のあいだで)財政記事、着実に、時に大胆に 高村薫

 高齢化の下での巨額の社会保障費に加え、コロナ対策費の増大で、昨年度は歳出の6割が借金――といった話を耳にすれば、誰しも国の財政の行く末が気になりますが、立場によって現状の捉え方が異なるため、戸惑うこともしばしばです。

 現に、危機的な財政状況というわりには、安倍政権以降、政府から緊縮予算の声はほとんど聞こえてきません。読者の声も、赤字が膨らむばかりの現状を案じる声と、コロナ対策のための財政出動を求める声に二分されています。前者では「赤字国債をどのように解消するのか、持続可能な財政をどのように確保するのか」(50代男性)、「国の財政事情について詳しく解説する記事が欲しい」(10代男性)などであり、後者はコロナ禍で「収入の減る個人や事業者を支援するためには財政出動が必要」(60代男性)など。

 新聞が一方で国の放漫財政を批判しながら、他方では困窮する個人や事業者への積極的な支援を訴えるのと同じく、前者は将来起きるかもしれない財政危機、後者は目の前の暮らしの危機を見ているのですが、どちらも的を射ているのが財政を考える難しさです。新聞もどこに向けて伝えるかに腐心するそうです。

 とはいえ、特別定額給付金もGoTo事業も、市井の切実な声に押されたものでしたが、10万円給付はありがたい一方で、「これだけ膨らんだ借金をどのように返すのか」(40代女性)というのも市井の常識的な感覚です。私たちは、財政赤字そのものに目を向け、この事態をどうやって切り抜けるかという正攻法の記事を読みたいのです。

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 「膨張予算 歯止めなし」(20年12月22日付朝刊)とか「財政 借金頼み拍車」(2月20日付朝刊)といった記事を読めば、日本の財政が何やらマズい状況にあることがよく分かります。本来は当初予算に盛るべき事業を補正予算に回して当初予算の規模を小さく見せかける「15カ月予算」の説明もありました。

 そして今年度も、コロナ対策とさまざまな大盤振る舞いにより、昨年度の3次補正と今年度当初予算をあわせた総額は約122兆円。国債の残高は約1千兆円。数字が大きすぎて実感もわきませんが、これを先進国で最悪の財政状況と書くだけでなく、必要なのはその先です。

 たとえば高齢化による社会保障費の増大が続く限り、大幅な歳出削減は難しいのが現実です。ならば、1千兆円もの国債はこの先どうやって返してゆくのでしょうか。

 一般的な手立ては歳出減と増税ですが、小陳勇一・論説副主幹と福間大介・経済部デスクによると、専門家のなかにはこんな見方もあるそうです。すなわち、重要なのは国債の残高より、必要な資金調達ができるだけの国力があるか否かであり、経常収支の黒字がその目安の一つになる由。近年は貿易収支に代わって企業買収など海外資産への直接投資が収益の柱となり、毎年20兆円前後の黒字となっています。GDP(国内総生産)の2倍の借金があっても、国債の暴落も極端な円安も起こらないのはこの黒字のおかげもあるそうです。だとすれば、私たちは借金返済よりも、当面はこうした海外への直接投資を活発に行えるような企業活動の維持発展に努めるのが現実的だということも言えるでしょう。

 このように財政の多様な考え方を伝えることは、読者の眼(め)を引きつけることにもつながります。もちろんどの意見が正しいのかすぐには言えない世界なのですが、正解が分からない難しさは、そういうものとして正確に伝えるほかありません。

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 財政規律も、具体例を挙げて伝えられると考えるヒントになります。前掲の12月の記事では、憲法に財政収支の均衡が謳(うた)われているドイツの例が紹介されていました。今回、ドイツは7年ぶりの国債発行に際して、20年で返済する計画も同時に決めたそうです。近年の日本に欠けているのはまさにこれです。借りた金は返すという当たり前の規律は、国家の信用の基礎です。国も国民も最低限、この規範意識だけでも持ち続けなければ、仮に首都直下地震が起きたときに、もはや対応できない事態になるかもしれません。漫然と先送りが続く基礎的財政収支の黒字化に、国がもっと真剣に取り組まなければならない所以(ゆえん)です。

 バブル崩壊以降、国の財政が歯止めを失っていった過程は、日本の産業が構造転換できずに世界で存在感を失っていった過程と重なります。また、円安で経済が回復基調にあったアベノミクス以降は、企業が社会の公器であることをやめて内部留保に走り、非正規雇用が増えて貧富の格差が広がっていった過程とも重なります。富の再分配を含め、まさに国のかたちでもある財政の多面的な構造を捉えるには、煩雑であっても一つ一つ着実に記事にしてゆくことが欠かせません。そしてときには、政治家の眼を覚まさせるような大胆な記事も読みたいと思います。

 ◆たかむら・かおる 作家。「マークスの山」で直木賞受賞。著書に「太陽を曳く馬」「土の記」など。1953年生まれ。

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