(声)語りつぐ戦争 ソ連侵攻、父残し突然の避難

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 無職 寺川正子(愛媛県 87)

 私の一家は旧満州中国東北部)東部の佳木斯(ジャムス)で暮らしていた。父は満鉄に勤めていた。私が国民学校6年生だった1945(昭和20)年の夏休みごろ、ソ連の飛行機がビラをまき始め、現地の人が「日本は戦争に負ける」と言うのを聞いた。

 8月9日夜、爆音が響いた。翌…

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