(社説)米の弾劾裁判 トランプ流と決別の時

社説

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 米国社会の混迷を深めた「トランプ政治」とは何だったのか。謙虚かつ冷静に見つめ直し、異常続きの政治劇に幕を引くべき時である。

 連邦議事堂の襲撃を扇動した疑いでトランプ前大統領が訴追された弾劾(だんがい)裁判が、終わった。有罪の票は上院の3分の2に達せず、評決は無罪になった。

 それでも、この間の審議などで、これまで以上に事件の経緯が見えてきた。トランプ政権を支えた共和党の幹部も、前大統領が扇動した責任は「明白だ」と認めざるをえなかった。

 今なお残る前大統領の影響力を考慮した共和党議員が多かったなかで、一部は民主党に同調して有罪票を投じた。米国史に残る事件の意味を与野党が立ち止まって考え、国の危機を直視した意味は小さくない。

 事件は、平和的な政権移行という民主主義の基本を否定した重大な出来事だった。発端は、選挙の結果を受け入れなかったトランプ氏の専横である。

 原則や規範を無視したトランプ氏のふるまいは、4年前の就任時から繰り返されていた。司法を軽んじ、事実に基づく報道を敵視し、分断をあおる政権を議会与党は黙認してきた。

 その責任を抱える共和党は、国民政党としての正道に戻ることができるかが問われている。一方の民主党も、政争の思考から脱する必要がある。

 この弾劾裁判を機に、米国の政界全体が、民主政治の立て直しを誓うべきだろう。

 トランプ現象を生んだ土壌としては、グローバル化と産業構造の転換に伴う経済格差の広がりがあったことは間違いない。そのひずみは、これまでの両党の歴代政権の間に長く蓄積されてきたものだ。

 そうした問題の本質的な改善に取り組むのではなく、問題に乗じて自らの支持層の怒りをあおり、国内外に敵を定めて攻撃する。そんなトランプ政治の台頭により、どれほど統治をめぐる信頼が傷つけられ、社会の寛容さが失われたことか。

 今回の評決の後、バイデン大統領は「この歴史の悲しい章」は「民主主義の壊れやすさ」を教えていると語った。それは必ずしも米国に限られた話ではなく、欧州や日本をはじめとする自由主義圏の共通の教訓とすべきだろう。

 所得格差や都市への豊かさの集中、政府・自治体の財政難、社会保障の逼迫(ひっぱく)ぶりなど、さまざまな問題が多くの国で社会不安の火だねとなっている。

 その改善には、富の再分配や機会の均等などをめぐる総合的な政策調整に政治が知恵を絞り、広く社会的な合意を得る努力を積み上げるしかない。

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