(評・音楽)郷古廉 孤独かつ高貴、作品の内奥求め

 ウィーンで学びながらヨーロッパで活躍中の27歳。バイオリニスト郷古廉(ごうこすなお)のリサイタルを聴く。共演者が来日できず、無伴奏作品のみのプログラムとなった(16日、トッパンホール)。

 舞台上で一人、作品と対峙(たいじ)する孤独がこの凄(すご)みをもたらすのか。年齢より少し大人びてきこえる音楽は、念入りに作りこまれた解釈の賜物(たまもの)だろう。たとえばバッハの無伴奏パルティータ第2番は舞曲集だが、郷古の演奏はステップの軽みとは無縁。クーラントですら、快活なリズムより対位法の綾(あや)が耳をひき、終曲のシャコンヌへ向かう緩急ある道程が螺旋(らせん)を描きながら高みにいたるのだ。

 バッハに先立つドイツ・バロックの作曲家ビーバーの「パッサカリア」、バッハの引用があるイザイの無伴奏バイオリンソナタ第2番、そしてバッハとよく似た楽想で始まるバルトークの無伴奏バイオリンソナタ。バッハを軸とする周到な選曲で、聴き進むうちに演奏会全体のみごとな立体的構造に気づく。

 イザイもバルトークも、いわばバッハから派生した音楽。イザイがバッハのもつモダンな性格を継承する一方、バルトークは異国趣味を含む民族性への関心を引きつぐ。郷古は引き締まった表情で、イザイのアクロバティックな楽想を弾ききる。高音が怜悧(れいり)で、鬼気迫るものがあった。それをはるかに超えたのがバルトークだ。きりっとして豪快。響きは色彩感をたたえ、音群は熱を帯びる。フーガでは4声部がくっきり。衒(てら)いのないメロディアもすてきだ。

 実力の拮抗(きっこう)する若手がひしめく中、郷古の特質はひたむきに作品の内奥を求める集中力にある。熟考から生まれた音楽はじつに高貴だった。

 (白石美雪・音楽評論家)