(EYE モニターの目)今月のテーマ:戦後75年をめぐる報道
■自身振り返るきっかけに
広島、長崎の原爆の日、そして終戦に至る日々は特別だ。この時期の記事には毎年、関心を持っている。特に今年はコロナ禍の中での取材に苦労しただろう。伝えなければという使命感から取材に応じた人々の思いが受け取れた。8月15日の「コロナ禍の夏に」の5回目「奉仕 疑わなかった軍国少女」で、「自分で考え、判断し、自分で道を決める」という言葉に触れ、自分自身を振り返った。見えないコロナとの戦いの中で、判断を人に委ねていないか、考えるきっかけになった。(黒光智子 49歳 岡山県)
■日常に焦点当てた記事を
連載「コロナ禍の夏に」が良かった。8月13日の「目の敵でも パーマは続いた」では、戦争中のパーマ禁止の「呼びかけ」が、実質「強制」になっているのが、今のコロナ禍の状況に重なった。政府の取り締まりをかいくぐり、「ヤミ」のパーマ屋で客にパーマを施した古池さんのお母さんの気持ちに思いをはせた。「日常を保ちたい本能」というのは不変だと思った。戦中の出来事を報じる記事は様々あるが、今後も戦時中の日常の暮らしに焦点を当てた記事を読みたい。(塩谷由香里 42歳 兵庫県)
■苦難強いた人の声聞きたい
例年、この季節には国民の体験が語られる。その声の多くは下級兵士であり、国民に苦難を強いた側の声はほとんど聞いたことがない。死地に向かえと命じた者、「上官の命令だ」と暴力ざんまいだった者、供出せよと財物を強奪し、着服した者……。彼らは終戦と同時にどうなったのか。この戦争は過ちではないかと立ち止まる機会はなかったのか。戦争では国民の命が消耗品になり、身近な家族が犠牲になった。命令した側に焦点を絞った記事が見当たらない。ぜひ、ほしい。(小林清次郎 72歳 東京都)
■読者に考えさせる姿勢を
毎年この時期、従軍した人たちの戦地での悲惨かつ理不尽な体験、また国内での空襲や飢餓体験などが多く記事になる。体験者が高齢化しており、戦争の記憶を風化させず、平和への願いにつなげていくことは大変重要だ。しかし、今のような取り上げ方が果たして若い人たちの平和への意識にどうつながっていくのか、見えてこない。読者が「へえー、そうだったのか」で終わるのでは、繰り返し語る意味がない。私たちが今、何をするべきかを考えさせるような姿勢がもっとほしい。(江森早穂 68歳 広島県)
<未来につなぐ企画、考えていきます>
わたしたちメディアは戦争の記憶を十分に伝えきれているだろうか。戦中を生き抜いた親や祖父母の世代が次々に亡くなるなか、あせりにも似た感覚におそわれることがあります。戦後75年となる今年は、全国の記者たちが取材と届け方に工夫しながら、数々の証言を紙面とデジタルに刻んできました。
戦後60年から5年ごとに続けてきた被爆者アンケートには768人から回答をいただきました。被爆者の平均年齢は83歳超。家族の手を借りてやっとの思いで答えてくれた方もいます。凄惨(せいさん)な体験と次世代へのメッセージは動画や音声でも配信しました。
連載「コロナ禍の夏に」は、自粛を求められる現在の雰囲気と重ね合わせながら、戦時下のくらしを等身大で描きました。81年前に起きた日ソ間の武力衝突を視覚的に取りあげた「プレミアムA ノモンハン 大戦の起点と終止符」は歴史の新たな視点にも踏み込みました。
戦後75年の報道は夏で終わりません。連載「戦争体験者の証言」は今後も続けます。命令した側や加害の側面も忘れてはならないテーマです。若者に届くような未来につなぐ企画も考えていきます。(東京社会部長・杉林浩典)
◇東京本社発行の朝刊、夕刊の最終版をもとにしています
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