(声)平和のバトン 台北大空襲、死んでいたかも

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 無職 小野原勝治(大阪府 82)

 1945(昭和20)年、国民学校2年だった私は、日本の統治下の台北市大和町に家族6人で住んでいた。5月31日午前、いつもは警戒警報から鳴るサイレンが突然の空襲警報、敵機の爆音と同時に「ズズズーン、ドン」という地響きが聞こえた。

 翌日からの疎開に備え、荷造りを済…

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