(社説)強制不妊手術 「違憲」の重みと失望と

社説

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 何とも釈然としない判決だ。

 旧優生保護法に基づいて行われた強制不妊手術について、東京地裁は、個人の尊重や幸福追求権を定めた憲法に反するとの判断を示した。1948年に全会一致で旧法を制定した国会、長年にわたって運用してきた政府・自治体、そのことに疑いを差し挟まなかった社会の罪深さを、改めて痛感する。

 だが、旧法を憲法違反とした昨年の仙台地裁判決と比べると、きのうの判決は個別手術の違憲性を指摘したにとどまり、損害賠償の求めも退けた。子を産み育てるかどうかを決める権利を、一方的に奪われた被害者に寄り添う姿勢はうかがえず、示された理由は説得力を欠く。

 判決は、原告は遅くとも旧法が改正された96年以降は提訴できる状況にあったのにそうせず、請求権は既に消滅したと結論づけた。障害者への理解も進み、旧法が差別意識を助長する程度は低下していたのだから、裁判を起こせない状況ではなかった、という判断だ。

 被害の実態をおよそ理解しているとは思えない暴論だ。一方で判決は、「優生思想の排除は現実問題として容易とは言えない」とも述べ、法改正しただけで、それ以上、賠償や差別の解消に向けた措置を講じなかった国会と政府を免責している。

 少数者の人権を守り、立法や行政の逸脱・怠慢をチェックする司法の責務を放棄したものと言わざるを得ない。原告側弁護団が厳しい言葉で判決を批判したのは当然である。

 強制不妊問題は、一時金320万円を被害者に支払う法律が昨年4月に成立して一区切りついた感があるが、課題は尽きない。被害に見あう金額になっていないとの批判に加え、支給が認められたのは621人にとどまる。自治体や医療機関に個人が特定できる記録が残る被害者は約7千人。うち3400人が生存しているとみられることを考えれば、あまりに少ない。

 説明がないまま手術され、被害を認識していない人が少なくないほか、旧法が「不良な子孫」の出生防止をうたっていたため、今も多くの人が名乗り出られずにいると、支援に取り組む弁護士らは話す。この事実ひとつをとっても、きのうの判決がいかに現実から乖離(かいり)しているかが分かるというものだ。

 一時金制度の広報・周知に努めるとともに、プライバシーに十分配慮したうえで行政側から被害者本人に連絡をとることなども、真剣に検討するべきだ。

 国会は先日、旧法の立法経緯や被害実態の調査を始めることを決めた。事実に迫り、過ちを検証することで、被害者の無念に応えなければならない。

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