(社説)五輪日程決定 「完全な形」に縛られず

社説

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 延期となった東京五輪が来年7月23日に開幕することが決まった。パラリンピックは8月24日。いずれも今年予定されていた日取りのほぼ1年後で、曜日はまったく同じになる。

 猛暑などを避けるため、この際、春や秋の開催にしてはどうかとの声もあった。だが、他の国際的なスポーツ大会への影響を最小限に抑え、かつ運営ボランティアの確保や期間中の交通事情の把握など、これまでの準備の蓄積をいかせる日程が、最も現実的だと判断された。

 目標がはっきりしたことは、選手を始めとする関係者には朗報だろう。ただし、新型コロナウイルス禍の収束が開催の大前提であるのは言うまでもない。

 にもかかわらず、どの時点で、世界がいかなる状態になっていれば最終的に実施に踏み切るのか、判断の基準や手続きなどは、国際オリンピック委員会(IOC)からも、日本側からも示されていない。

 果たして責任ある態度といえるだろうか。組織委員会の森喜朗会長からは「神頼み」との発言も飛び出した。精緻(せいち)なものは無理だとしても、今後想定されるケースごとに対応策を考え、その内容をていねいに説明しながら、社会の合意を形づくっていく必要がある。

 他にも課題は山積している。

 たとえば、この夏、競技会場やプレスセンターになったはずの施設の多くは、すでに別の利用者の予約が入っている。選手村は大会終了後、大規模集合住宅に改装して分譲することになっていて、売買契約も進んでいる。これらをどう調整するか。補償話も浮上するだろう。

 こうしたものも含めて、追加の経費はいくらになるのか。それをIOC、組織委、都、国でどう分担するのか。情報を公開し、人々が納得できる答えを見つけなければならない。

 気になるのは、延期方針を打ち出した際に安倍首相が語った「完全な形での実施」という言葉だ。その意味するところは判然としないが、当初の構想に固執せず、「できること」と「できないこと」とを分けて、前者に注力する姿勢が大切だ。

 競技会場の見栄え、開閉会式の規模、自治体による外国選手団の受け入れ・交流なども、それぞれの実情に応じて、現場に過重な負荷をかけることなく、柔軟な対応を考えたい。

 IOCは6年前に「アジェンダ2020」を策定し、招致活動の見直しや、複数都市での分散開催の容認などの改革を進めてきた。肥大化が進んだ大会の持続可能性が問われて久しい。過去に例のない「延期」の作業を進めるなかで、五輪のあり方そのものを見つめ直したい。

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