(惜別)エマニュエル・ウンガロさん フランスのファッションデザイナー

惜別

 ■優美で強い女性像、色と柄で

 2019年12月21日死去(死因不明) 86歳

 1990年代末、彼の手によるパリ・オートクチュールコレクションの作品を初めて見たとき、その華麗さ、丹念さに目を奪われた。鮮やかな花や動物柄、フリルや羽飾りの自在なミックス。妖艶(ようえん)なドレープ。これぞオートクチュール(高級注文服)の神髄と思わせた。

 「色彩の魔術師」「プリントの詩人」と称賛された。

 33年、画家セザンヌを生んだ南仏エクサンプロバンスの出身。亡命したイタリア人でテーラーを営む父親に、イタリア式の仕立て技術を学んだ。

 パリに移り、20代初めにクリストバル・バレンシアガに師事。「クレージュ」をへて65年に独立した。有能な生地デザイナーと出会い、独自の美しい色や柄を作りだす才能を開花させた。70年代には既製服でも成功。日本ではハンカチなどのライセンス商品でも知られる。

 創作するうえでの女性像は「外見はガラス細工のように繊細だが、芯が強くきまぐれで知的」。元ウンガロジャパン社代表の瀧田節子さん(57)は、彼が衣装を手がけた80年の映画「グロリア」に触れ、「主演女優が着た花柄のガウンやフレアスカートは強い女性なのにエレガントなイメージ。当時の働く女性の意識を一歩進めた」と語る。

 華やかな作風とは逆に、骨太の職人気質だった。「ファッションには多様な文化の交流が必要」が信条で、音楽や建築、文学など様々な分野を楽しみ、家族を愛した。2004年にファッション界を引退した。後継者だったジャンバティスタ・ヴァリさん(53)は「多くを学んだが、中でもクチュリエ(主任デザイナー)としてのしぐさを教えてくれた」と振り返る。

 森英恵さん(94)はパリで工房が近かった。「ショーウィンドーは鮮やかなのにデザインは優しく軽やか。同時代に創作に挑んだ同志がまた一人亡くなり、寂しい」(編集委員・高橋牧子)

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