(書評)『追いついた近代 消えた近代 戦後日本の自己像と教育』 苅谷剛彦〈著〉

有料記事書評

 ■参照モデルなき後どう歩むのか

 自分には何かが欠けているが、見上げてみれば、遠い先に「普遍」的とされる目標がある。ならば、それを目指して進めばいい。遠い参照点と比べれば自らの現状はいかにも遅れているが、目標に近づいていると思えば「遅れ」はむしろ発奮材料にもなる。さしずめ日本の近代を戯画化すれば…

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