米知日派の筆頭格、アーミテージ元米国務副長官が死去 79歳
米共和党知日派の筆頭格で、ブッシュ(子)政権で国務副長官を務めたリチャード・アーミテージ氏が13日、肺塞栓(そくせん)症のため死去した。79歳だった。長年、日米同盟の強化の必要性を訴え、日本の安全保障・外交政策や日米同盟の強化路線に大きな影響を与えた。
アーミテージ氏が代表のコンサルティング会社「アーミテージ・インターナショナル」が14日、発表した。
海軍兵学校を卒業後、ベトナム戦争に従軍。レーガン政権で国防次官補となり、2001~05年に国務副長官を務めた。
01年の米同時多発テロ後、小泉純一郎政権の柳井俊二駐米大使(当時)に対し「ショー・ザ・フラッグ(旗を見せろ)」と伝えたと報じられ、米側が日本に対して貢献を求める象徴的な言葉として注目を集めた。03年のイラク戦争開戦後は、ブッシュ政権が「ブーツ・オン・ザ・グラウンド(陸上部隊を出せ)」と日本に支援を求め、協議にあたった。04年からの復興支援のための陸上自衛隊のイラク派遣につながった。
アーミテージ氏は国務副長官就任前の00年、ナイ元米国防次官補らと超党派の米知日派による対日政策文書「アーミテージ・ナイ・リポート」を発表した。「米国と日本:成熟したパートナーシップに向けて」と題した00年の報告書では「国際的リーダーシップをとるなら、リスクを負う必要がある」と日本に提言。集団的自衛権について「日本が禁止していることは、同盟への協力を進めるうえで制約になっている」と指摘し、必要性を訴えた。日本政府は14年、従来の憲法解釈を変更し、集団的自衛権の行使容認を閣議決定するなど、報告書はその後の日本の安全保障政策の方向性となっているともいえる。
国務副長官退任後も、積極的…