不祥事からの再建を託され 横浜の村田監督がセンバツ制覇に導くまで
(30日、第97回選抜高校野球大会決勝 横浜11―4智弁和歌山)
横浜(神奈川)を率いる村田浩明監督(38)は高校2年生だった2003年、同級生のエース涌井秀章(現中日)とバッテリーを組み、選抜大会決勝の舞台に立ったが、敗れた。
それから22年。今度は指導者として、同じ舞台に戻り、母校を19年ぶり4度目の選抜大会制覇に導いた。
「たくさんの方々の支えのがあって、選手たちが躍動してくれた。本当に横浜高校の絆を感じた」
甲子園で春夏連覇を達成した松坂大輔さんらの世代に憧れ、横浜の門をたたいた。04年夏は控え選手だったが、主将としてチームを引っ張り、全国選手権大会ベスト8まで勝ち進んだ。
当時の監督だった渡辺元智さんは当時から「高校野球の指導者になれ」と助言していたという。その言葉通り、野球部の指導を視野に入れて日本体育大学に進学。教員免許を取得した。
大学時代から母校の練習を手伝っていたこともあった。でも、選んだのは県立高の教員だった。
「この当時『神奈川から甲子園に出場した県立高は60年近く出ていない』と聞いた。それを実現するような大きいことをしたいと思った」
09年、神奈川県立霧が丘高校で野球部長に就任し、13年からは神奈川県立白山高校で監督を務めた。
白山の監督として指導する初日には、部員が4人しか現れなかったという。「村田は厳しいといううわさが広がったんでしょうね」
人数が足りないので、監督自…
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