第2回「漂流者がいない」外れた海保の想定 リアス海岸、引き波が運んだ先
【連載】ミッシング 震災行方不明2500余人の現実
東日本大震災では、全犠牲者の14%を占める2500人余りの人が、行方不明のままです。津波災害は遺体を見つけることすら難しい、恐ろしい災害でした。いまも大切な家族を待ち続ける人、捜し続ける人がいます。
指揮官は焦っていた。
「津波にのまれた人たちは、いったいどこにいるのか」
宮城県塩釜市の港のそばにある第2管区海上保安本部。2011年3月11日、警備救難部長だった近藤悦広さん(66)は地震と同時に、7階の運用司令センターに駆け上がった。まもなく津波が湾に到達した。
船舶無線や電話で通報が相次ぐ。「流された船に人が残されている」「乗組員が波にさらわれた」。東北各地の拠点は軒並み被災し、配下の巡視船やヘリを出せない。救助活動が始まったのは、他管区から応援が到着した翌12日朝からだった。
2管では前年11月、地震による津波災害に備えた対応要領をまとめていた。津波で海に流された多数の人が、がれきにつかまり漂流しているはずだ。海の「生存限界」は陸上の72時間より短い48時間。その間は、海上捜索に全勢力を注ぐことになっていた。
ところが――。想定は外れた。
ヘリから見て疑問が解けた 「生存は難しい」
「漂流者救助」の連絡は一向…
【春トクキャンペーン】有料記事読み放題!スタンダードコースが今なら2カ月間月額100円!詳しくはこちら