「異論封じる最高裁長官」の素顔 田中耕太郎が求めた「司法の独立」

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米田優人
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 1957年に東京都砂川町(現・立川市)にあった米軍基地に学生らが立ち入った「砂川事件」。有罪とされた男子学生ら3人が、審理を担った田中耕太郎・最高裁長官(当時)の行動をめぐって国に賠償を求めた訴訟で、東京高裁は31日の判決で原告の主張を退けた。

 3人は、田中が砂川事件の裁判の見通しを米国側に伝えていたことによって「公平な裁判を受ける権利を害された」と訴えていた。

 その田中は、最高裁長官時代に手がけた判決や、異論を封じるような発言から、「タカ派」「反動的」といったイメージで語られることが多かった。最高裁長官になる前は、学者や文部相としても活躍した。どんな人物だったのか。

ベートーベンとカメラを愛好

 田中は1890年、鹿児島県

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この記事を書いた人
米田優人
東京社会部|最高裁
専門・関心分野
司法、刑事政策、消費者問題、独禁法
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    牧原出
    (東京大学先端科学技術研究センター教授)
    2025年1月31日22時16分 投稿
    【視点】

    砂川事件について、様々な政治的な思惑から判決への批判と、安保法制の制定時に見られたような集団的自衛権を正当化する解釈などが生まれています。この裁判について、田中の行動が司法権の独立を毀損するという原告側の主張は、あくまでも裁判の中の一方当事

    …続きを読む