「姉妹公園」になった真珠湾と広島、謝罪なき「和解」はあるのか

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文=原田小鈴 構成=核と人類取材センター・田井中雅人

広島、長崎の両方の原爆投下機に搭乗した米兵の孫と、両方で原爆に遭った「二重被爆者」の孫が出会い、友情を築いています。2人に折々の国際情勢に触れながら手紙を交わしてもらう企画の3往復目です。

 日本が米ハワイの真珠湾基地(パールハーバー)を奇襲した1941年12月8日、祖父はニュースを聞いて、心底驚いたそうです。

 「まさか、こんな現状であの豊かな物質を持つアメリカと戦争をするのか!」

 生活物資が乏しくなる中、三菱長崎造船所で船舶技師をしていた祖父は、日本が鉄も油も入手することが難しくなっていることを知っていました。駆逐艦が沈みかかりながら長崎の港へすぐ戻ってくるので、戦況が不利なのが手に取るようにわかったそうです。

 38年に「国家総動員法」が…

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この記事を書いた人
田井中雅人
大阪社会部|核と人類取材センター事務局長
専門・関心分野
核・軍縮・平和

連載孫たちの意外な友情 ヒバク80年、日米往復書簡

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