一周忌に気づいた「事故に向き合わぬ自分」 池袋暴走遺族の松永さん
東京・池袋で2019年、車が暴走した事故で妻子を失った松永拓也さん(38)が、精神科医の桑山紀彦さん(61)と対談し、事故後の5年間を振り返りました。松永さんは「2人の命を無駄にしたくない」と懸命に交通事故防止活動を続けながら、立ち上がれないほど体調を崩すこともあったことを明かしました。
事故から5年を機に松永さんを取り上げた朝日新聞の記事を桑山さんが読み、対談が実現。対談は6月に東京都内で行われました。
内容を3回に分けて紹介します。今回は初回です。2、3回目は15日以降に配信予定です。
事故の瞬間、今もフラッシュバック
桑山 「心のケア」で今、世界の標準となっているのが記憶を時系列に並べ替え、感情を取り戻していく「心理社会的支援」です。ただ、日本ではほとんど認知されていません。この作業の過程では涙も出るし、感情的にも揺れる。日本人の多くが「寝た子を起こすな」とか、「忘れかけているからそっとしとけ」みたいな雰囲気を持ちやすくて、それが災いしているかなという風に思うことが多々あります。
でも松永さんを見ていると、我々精神科医がトラウマを抱えた人に対して「こうしたい」「こうできたらいいな」と思う領域に自ら達している。なぜそのようなことができたのでしょうか。
松永 事故直後は、正直、屋上から飛び降りようとしていたんです。ただ、2人同時に火葬できないという理由で葬儀まで5日ありました。その間、1人ずつひつぎを開けて、話をしたり、絵本を読んであげたりしていたんですけど、「お父さんは死なないで」って言われた気がして。そのときから、「真菜と莉子の命を無駄にしたくない」という思いがエネルギーになりました。悲しみと苦しみは、単純に悲しい苦しいでしかないのですが、それもある意味エネルギーになっています。
桑山 取材などで、語るのがつらかった内容はありますか?
松永 つらいのは事故の日のことですね。2人の遺体の状況をしゃべるのもつらいですが、事故の瞬間がつらいんです。
ドライブレコーダーの映像に娘の姿
車のドライブレコーダーの映…