なぜ無実訴えるほど長期拘束 元裁判官が訴える「人質司法」の違憲性

聞き手 編集委員・豊秀一

 東京五輪・パラリンピックをめぐり、大会組織委員会の元理事に対する贈賄罪で逮捕・起訴された出版大手「KADOKAWA」の角川歴彦(つぐひこ)元会長が、「人質司法は憲法違反」とする国家賠償請求訴訟を起こしました。冤罪(えんざい)の温床ともされてきた人質司法の問題をどう考えるべきか。角川人質司法違憲訴訟とともに大阪のプレサンスコーポレーション元社長冤罪事件の弁護団の一人で、元裁判官の西愛礼(よしゆき)弁護士に話を聞きました。

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 ――そもそも「人質司法」とは何なのでしょうか。

 「無実を主張したり、黙秘権を行使したりすればするほど、身体拘束が長引く日本の刑事司法実務の運用のことをいいます。身体拘束を受ける人にとって、身体を人質に取られて自白を強要されているような状況になることから『人質司法』といわれています」

無罪主張する人ほど長期拘束

 ――「人質司法」の具体的な弊害を教えてください。

 「まず、身体拘束が長期化して、肉体的・精神的・社会的・経済的に大きな不利益をこうむります。その結果、無罪を主張することに萎縮したり、身体拘束を受けることで打ち合わせなどを十分に行うことができず、無罪主張が十分に行えなくなる結果、冤罪が生まれてしまうおそれがあります。裁判で無罪を主張することは当然の権利であるにもかかわらず、無罪主張をする人ほど不利益を被ることになっており、これは裁判を受ける権利の侵害だと思います」

 ――西さんは元刑事裁判官でした。元裁判官という立場から、「人質司法」を成立させている背景に何があるとお考えでしょうか。

 「問題は多層的です。以下の4点を挙げておきます。一つ目は、長期の身体拘束を可能にする法制度という立法の問題です。例えば、保釈は起訴後にしか許されず、起訴前は保釈制度自体がないという問題があります。また、刑事訴訟法などの条文の中に身体不拘束を原則とするものが明記されると状況は変わるかもしれません。ほかにも、被疑者や被告人が自白しているか否認しているかということを、身体拘束をするうえでの判断材料にしてはならないということが明記されれば、人質司法をなくすことにつながると思います」

 ――残り三つの原因とは。

 「二つ目は、身柄拘束の理由とされる逃亡や罪証隠滅に関する裁判官の法解釈が確立されているという解釈運用の問題です。例えば、被疑者や被告人が自白している場合と黙秘・否認している場合、後者の方が証拠隠滅の動機や余地があるとして身体拘束が認められやすいという解釈運用が確立されています。そのため、どの裁判官が判断をしても黙秘・否認していると身体拘束が認められやすくなりますし、一人の裁判官が積極的に身体拘束を解放しようとしても検察側が不服申し立てをすれば、上級審で別の裁判官によって判断がひっくり返されてしまうのが現実です」

 「三つ目は、個別のケースで軽々しく身体拘束を認めてしまうという法適用の問題があります。裁判官は、罪証隠滅や逃亡の可能性についてはそのような事例を直接見聞きするため高く見積もってしまう一方で、身体拘束されている人たちと直接接することが少ないため身体拘束による不利益を低く見積もってしまっているという問題があると思います」

 「そして四つ目。令状判断がブラックボックスになっていて事後検証されないという検証の問題です。裁判官が勾留や保釈を認めたり、却下したりしても、判断の具体的な根拠は示されません。令状判断の際の資料である一件記録については、被告人や弁護人は見ることができません。更に、令状判断を事後検証しようと思っても、刑事裁判記録の目的外使用の禁止が刑事訴訟法に定められていて、調査や研究にも使えません。ブラックボックスになっている令状判断を検証できるように、記録へのアクセスを可能にする法改正などが必要です」

目の当たりにした人質司法の理不尽な状況

 ――制度改革と裁判官たちの意識改革も必要なのでしょうか。

 「裁判官が自白を強要しようとまでは考えていなかったとしても、否認している人の方が自白している人よりも身体拘束期間が長くなる実務運用に依拠することによって、身体拘束を受ける側は『釈放されないのは容疑を認めないからだ』『容疑を認めるまで釈放されない』などと感じ、虚偽自白などを誘発する人質司法が生まれています」

 「裁判官には、証拠隠滅や逃亡によって事件を潰さず、公平な裁判がしたいという感覚があると思います。しかし、身体拘束が虚偽自白や争点の放棄を導くのであれば、それこそ公平な裁判をすることができなくなりますので、本末転倒だと思います」

 ――西さんは冤罪事件の国賠訴訟にも弁護団に入っていますね。

 「私が弁護団に参加したプレサンス元社長冤罪事件でも、自白した共犯者らの保釈が早期に認められる一方、無実を主張する山岸忍さんだけが保釈を却下され続けました。248日間の身体拘束の末に保釈を勝ち取り、最終的に無罪判決を得たものの、無実の人ほど長期間拘束するという理不尽な状況を目の当たりにしました。人質司法をなんとか解消しなければならないと思ったのです」

 ――角川元会長が訴えた「人質司法違憲訴訟」の弁護団の一人として、6月27日に都内であった記者会見に出席し、「もっといい裁判所になって欲しい。裁判という手段を通じて、人質司法を終わらせたい、終わらせることができると信じている」と訴えました。改めてこの裁判の意義は。

 「この裁判では、人身の自由や身体不拘束原則といった憲法及び国際人権法上の自由・諸原則に基づいた法令解釈をすべきであり、従前の法解釈とそれによって生まれる人質司法は憲法と国際人権法に反しているということを訴えています。私は、裁判所が公平な裁判を受ける権利を侵害するということはあってはならないと思います。二度と人質司法で苦しむ人がでないよう、立法、解釈運用、法適用、検証の全てにわたって、憲法やグローバル・スタンダードに沿った是正が必要不可欠です」(聞き手 編集委員・豊秀一)

西愛礼さん

 にし・よしゆき 1991年生まれ。元裁判官。後藤・しんゆう法律事務所所属(大阪弁護士会)。冤罪の救済・研究に従事する。著書に「冤罪学」。

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    越智萌
    (立命館大学国際関係研究科准教授)
    2024年7月9日8時59分 投稿
    【解説】

    カルロス・ゴーン氏の弁護人を務めた高野隆氏によれば「「人質司法」という表現は、主として、この国で刑事弁護を生業(なりわい)としている弁護士が使っています。誰が考えたというわけではなく、私自身も弁護士になって刑事弁護をやりはじめてすぐにこの言葉が口をついて出るようになりました」(刑事裁判を考える:高野隆@ブログ2021年06月24日「『人質司法』(角川新書)」)とのことです。 ゴーン氏事件に関する人権国際NGOのヒューマンライツウォッチの記事で国際的に広がり、今やHitojichi-shihouという言葉でのWikipediaも作られているほどです。 人質司法の悪評は、実務上、日本への刑事司法協力の妨げとなっています。 2023年のイギリスの決定では、日本の人質司法などを理由に、ジョー・アンソニー・チャペル氏の日本への引き渡し要請を棄却しています。 言い換えれば、日本は、この国に犯罪の容疑者を引き渡しても大丈夫だ、という信頼を、すでに失っているのです。 本記事の最後では、「グローバルスタンダードに沿った是正」への言及がありますが、まさに、日本国憲法上の基準だけでなく、国際基準を意識した是正を行うことも、重要であるといえます。 刑事司法手続の対象となる個人の保護についての国際基準は、自由権規約(いわゆるB規約)だけでなく、その後の数多くの国際会議で議論され、採択されてきた多様な国際文書(マンデラ・ルールズ、バンコク・ルールズ、2021年の京都宣言など)で重層的に構築されて行っています。 日本政府は、これらの文書について、「法的拘束力はない」と一蹴する態度を続けてきていますが、国際的な基準の構築に意味を持たせるためにも、判例においてこれらを積極的に取り入れる必要があろうかと思います。 今回の裁判でも、国際基準をどれほど取り入れた議論ができるかに注目しています。

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