今も残る女人禁制の聖地 「性差別か伝統か」の議論が抱える落とし穴

有料記事

聞き手・石川智也

 男女同権が当然の現代にも、世界には、女性が立ち入れない「聖地」「聖域」がある。日本でも、女人結界を残す霊場や女性の参加を認めない祭りがなお存在する。2018年には、大相撲の土俵で倒れた市長を救助した女性が「土俵から降りてください」と指示され、大きな騒動となった。「女人禁制」の伝統はどのように形成され、変容してきたのか。本当に「伝統」なのか。宗教とジェンダーについて研究してきた小林奈央子・愛知学院大教授に聞いた。

「存在として不浄」という観念 中世に結界が成立

 世界には、女人禁制の聖地が多々あります。宗教上の規範や習俗のほか、女神が嫉妬して災いが起きるといった民間信仰に基づくものなど、理由は様々です。

 日本でも長らく、霊山や寺社、祭場に女性が入り参拝することが禁じられてきました。出産や月経の血をケガレとして避ける風習や、煩悩を断ちきる修行の妨げになるという仏教戒律が結びつき、「女性は存在として不浄」という観念が生まれ、10世紀ごろに恒常的な「女人結界」が成立したと考えられています。

 特に室町時代に民間に広まった経典「血盆経(けつぼんきょう)」は、女性は特有の血のケガレを持つため成仏できないとするもので、宗教的領域での女性蔑視と排除をさらに強めました。

 1872年の明治政府の布告で公には禁制は解かれました。しかし今も女人結界を続ける霊場は残り、特に神社では月経中の女性が神事に参加することを拒むところもあります。私自身、生理の有無や血の量を聞かれたことがあります。修験道の聖地である大峯山(おおみねさん)の山上ケ岳(さんじょうがたけ)(奈良県)は、現在も女性は入山できません。2004年に一帯が「紀伊山地の霊場と参詣(さんけい)道(みち)」としてユネスコ世界文化遺産に登録される際、人権の観点から禁制解除を求める1万人以上の署名を市民団体が提出しましたが、その後も議論は進んでいません。

その「伝統」 本当に伝統?

 逆に文化庁は20年、明治後…

この記事は有料記事です。残り1283文字有料会員になると続きをお読みいただけます。

【春トクキャンペーン】有料記事読み放題!スタンダードコースが今なら2カ月間月額100円!詳しくはこちら

この記事を書いた人
石川智也
オピニオン編集部
専門・関心分野
リベラリズム、立憲主義、メディア学、ジャーナリズム論
  • commentatorHeader
    塚田穂高
    (文教大学国際学部教授・宗教社会学者)
    2024年4月30日22時48分 投稿
    【解説】

    さまざまな具体例にもとづき、ポイントがまとめられた良記事、インタビューです。 >文化庁は20年、明治後半まで禁制が続いた高野山(和歌山県)の外にあった女人堂などを「女人高野」として日本遺産に認定しました。「時を超え、時に合わせて女性ととも

    …続きを読む