事件直前、夫とかわした手紙 「切り捨てていた女としての自分」
現場へ! 連合赤軍「指輪物語」④
連合赤軍(連赤)事件で犠牲になった遠山美枝子(当時25)は、山岳アジトへ向かうまで赤軍派で救援活動をしていた。なぜ、軍事訓練という危険な場へ自ら行ったのか。
美枝子は当時、獄中にいた赤軍派最高幹部の夫、高原浩之らと多くの手紙を交わしており、一部が遠山家に残されていた。
1971年8月に25歳の最後の誕生日を迎えた美枝子は、高原宛てのはがきに〈私とあなたは相対的独立の関係(略)。これからは自分の好きな事をやろうと思う。今こそ自力で飛躍しなければならない〉と書いた。
高原への最後の手紙は、山岳アジトへ行く直前に投函(とうかん)した。〈私の問題としては、赤軍女性兵士として(略)、徹底的に自己改造していく方向が問われている〉(同11月25日付)
遠山美枝子が夫への手紙につづった活動に入った動機
遠山美枝子は事件直前、夫へ宛てた手紙の中で結婚し、中絶した過去、革命闘争を選んだ理由を書いていました。
その手紙には美枝子が活動に入った動機もつづられていた。〈一つは、母の強さがあまりにも大きく私にうつった事、二つは、大学一年生の時の失恋が起因している。故に、女一人でもやっていける生き方、解放される、する強い人間になりたい為、活動に入ったのである〉
だが、赤軍派は男性中心でフェミニズム(女性解放)意識のない組織だった。美枝子は親友の重信房子(元日本赤軍最高幹部)らと抗議書を出したが、相手にされなかったという。
美枝子は、高原との結婚について、〈(武装蜂起で)「死ぬ」事を前提としたからこそ、いままで切り捨てていた女としての自分を一回で良いから体現してみたかったのです〉とも手紙の中で打ち明けていた。
そして、〈あなたの踏み台に…
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