中東の混乱、元凶は欧州の搾取 パレスチナが抱く「二重の憤り」
パレスチナ自治区ガザ地区を実効支配するイスラム組織ハマスとイスラエルの軍事衝突によって人道危機が拡大しています。この地域をめぐる混乱の背景として指摘されるのが、第1次世界大戦中の英国の「三枚舌外交」です。一方、欧州と中東・北アフリカの関係史に詳しい一橋大大学院の福富満久教授(国際政治)は、「中東・北アフリカをめぐる悲劇は19世紀フランスのアルジェリア支配にまでさかのぼり、現代まで一つの線でつながっている」と言います。
――英国の三枚舌外交とはどのようなものだったのでしょうか。
第1次大戦中の1915年、英国はアラブ人勢力がオスマン帝国に反乱を起こす代わりに、戦後の独立を約束する「フサイン・マクマホン協定」を結びました。
その一方で英国は、フランスとロシアとの間で1916年に「サイクス・ピコ協定」を結び、戦後の中東地域の分割を秘密裏に決定しました。
さらに1917年になって、戦費捻出に駆られた英国は、ユダヤ人の富豪ロスチャイルド家に対して融資と引き換えにユダヤ人国家の建国を支持する「バルフォア宣言」を発表したのです。
終戦後、サイクス・ピコ協定にのっとり、英国はイラクとトランスヨルダン(現在のイスラエル、パレスチナ、ヨルダン)を委任統治領とし、フランスはレバノン、シリアを委任統治領としました。
その後、48年に英国の委任統治が終了するとイスラエルが独立を宣言。アラブ諸国が独立阻止を目指してパレスチナに進攻し、それから73年まで4度の中東戦争につながりました。
――英国の外交姿勢が中東の混乱の根底にあるということですね。
いや、私は中東・北アフリカの人々の絶望は、19世紀フランスのアルジェリア侵略にまでさかのぼると考えています。
――どういうことでしょうか。
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- 【視点】
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