数分間の打ち上げに拍手が起きた 横浜の4代目が気づいた花火の意義

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小林直子
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 夜空を彩る花火といえば「夏の風物詩」。花火の打ち上げや演出を手がける「横浜山田の花火」(横浜市南区)の山田洋右さん(46)は、秋風を感じるいまも打ち上げ現場を駆け回っている。

 「いまは1年を通して依頼があり、年間の打ち上げ回数も増えました」

 「横浜山田の花火」は家族で営む株式会社「ヤマダ」の屋号だ。

米軍相手のおもちゃ花火がウケた

 花火の販売は、山田さんの曽祖父が戦後まもない時期に始めた。もともとは車の塗装などを営んでいたが、店の周りは米軍に接収され、生活のために手持ち花火などの「おもちゃ花火」を米軍人に売ったところ、ウケたという。

 花火大会は、1949年に開催された第1回ミナト・ヨコハマ花火大会で打ち上げたのが最も古い記録だという。以降、横浜開港祭や金沢まつり花火大会などに携わってきた。

 当初は市内に工場があり、花火の製造もしていた。ただ、周辺の宅地開発が進み、昭和40年代には安全面から工場を閉鎖せざるをえなくなり、打ち上げと演出に特化したという。現在は主に秋田、新潟、長野の花火師から花火を仕入れている。

 今年、4代目社長に就任した山田さんは、大学卒業後に1年間、長野県内の花火店で製造を学んだ。その後、横浜に戻り、30歳になったころには1時間半ほどの花火大会の演出を父に代わって任されるようになった。

 数千発を打ち上げる大きな花火大会は、途中で観客が飽きないよう、「起承転結」を意識してプログラムを組んでいる。円形だけでなく、様々な形が夜空で花開くように工夫し、打ち上げるテンポも変える。

コロナ禍でイベントが軒並み中止、そのとき

 5~10分で終わる短時間のイベントならば、使う花火玉をより吟味する。打ち上げる場所が限られ、形が変化をするような大きな花火玉は使えないことが多いからだ。

 高齢者施設のお祭りでは落ち着いた色合いや定番の形を中心に。高校や大学の学園祭は楽しい雰囲気になるようにハートやスマイルの形は必ず入れよう――。それぞれ観客の姿を思い浮かべながら、シミュレーションソフトを使ってプログラムを組んでいく。

 いまでも強く印象に残っている現場がある。

 新型コロナウイルスの感染が…

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この記事を書いた人
小林直子
横浜総局|記者キャップ
専門・関心分野
子育て・教育、スポーツ