第1回「あの写真の少年は父です」 息子からの電話、原爆78年後の真実
「自分の父親が写っている写真を資料館で見た」
広島市の広島平和記念資料館に昨夏、男性から一本の電話があった。
常設展示されている写真パネル「火傷(やけど)の手当てを受ける少年」に写る少年の息子と名乗った。
電話を受けた学芸員の下村真理さんは突然の電話に驚いた。過去にはそういった申し出はいくつかあったが、被爆から70年以上が経つと、ほとんどなくなっていた。
治療する医師の身元は2018年に判明していた。ただ、電話の証言が正しいかどうか、資料館として確認するすべはない。
写真は原爆投下から4日後の1945年8月10日、広島赤十字病院(現広島赤十字・原爆病院)で朝日新聞の写真記者だった宮武甫(はじめ)さん(85年死去)が撮影した。
大阪で編成された陸軍の宣伝工作隊の一員として前日の9日に広島に入り、壊滅的な被害を受けた街の様子を記録していた。写真パネルは、同病院で撮影した10枚のうちの1枚だった。
今年4月になって、「手当てを受ける少年」の写真に関する電話が資料館へかかっていたと、記者は知った。被爆直後に撮影された写真について資料館と情報交換を続けており、その時も別の写真をめぐってやりとりをしている最中だった。
「本当だろうか」。まず、昨夏の電話の主を訪ねた。
資料館へ電話をかけたのは、大阪府摂津市の会社員原田昌吾さん(50)だった。
原田さんが記者に語ったのは次のような内容だった。
被爆した写真が父だと聞いたことを資料館へ連絡した原田さん。父が残した資料をたどると、父が生前語らなかった詳細な被爆体験が明らかになりました。
昨夏、インターネットで原爆…
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