福田村事件で野田市長が悼む 「今後も人権教育を継続」

斎藤茂洋
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 関東大震災直後の1923年9月、福田村(現野田市)で香川県から来た行商の9人が殺害された福田村事件について、野田市の鈴木有市長は20日の市議会で「被害に遭われた方たちに対し、謹んで哀悼の誠を捧げたい。人権問題の正しい理解と認識を深められるよう今後も継続して人権教育、啓発に取り組む」と答弁した。

 小室美枝子氏=市民ネット=の一般質問に答えた。鈴木市長は「当時の社会情勢の混乱、流言飛語など複合的な要因が重なって起きた事件と考えますが、いかなる理由があっても人の命を奪うのは最大の人権侵害。二度と繰り返してはならない」と話した。市によると、市長が議会で被害者に弔意を示したのは初めてとみられるという。

 福田村事件は1980年代に香川県の元高校教諭らの調査などで明らかになった。野田市内では2000年に市民グループが発足した。今年は事件から100年になる。(斎藤茂洋)

 〈福田村事件〉関東大震災から5日後の1923(大正12)年9月6日、千葉県福田村(現野田市)の利根川河畔で、香川県の被差別部落から来た薬の行商団15人のうち、幼児や妊婦を含む9人が福田村と田中村(現柏市)の自警団に殺された。震災後、「朝鮮人が略奪や放火をした」とのデマが広がっていた中で、聞き慣れぬ方言を話す一行が朝鮮人と決めつけられて襲われ、遺体は利根川に流されたという。自警団の8人が有罪となったが、恩赦で釈放された。

 80年代に香川県で真相究明が始まり、殺害を免れて帰り着いた行商団の生存者から聞き取った証言の記録が残されている。震災80年の2003年、野田市の現場近くに「追悼慰霊碑」が建てられた。朝鮮人差別や行商への偏見、よそ者への排他意識などに群集心理も重なり、事件が起きたと分析されている。

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