第5回秘密公電で読み解くソ連政変の3日間 佐藤優氏ロングインタビュー

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編集委員・藤田直央 高島曜介

外務省は2022年12月21日、湾岸戦争やソ連崩壊などが起きた1991年の出来事に関する外交文書を公開しました。米ソ対立の冷戦が終わり、国際社会が新秩序を探る中で激しく動いた年。日本外交の舞台裏を映す文書とともに振り返ります。

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 大政変の動きをつかむカギは、キーパーソンからの情報だ。1991年8月に世界が固唾(かたず)をのんだソ連のクーデター未遂では、モスクワの日本人外交官らも情報収集に奔走。2022年末に外務省が公開した外交文書には、刻々と変わる事態を東京へ伝える多くの公電がつづられている。

 クーデター発生から失敗までの3日間で、日本人外交官らがソ連や傘下にあったロシアなどの共和国の関係者とやり取りした公電は36本。うち6割以上に「佐藤」「サトウ」とある。安否不明のゴルバチョフ大統領の生存など貴重な情報を送り続けたのが、いま作家の佐藤優氏(62)だ。

 渦中で何を考え、どう動いたのか。31年前の自身が作った公電を見ながら振り返ってもらい、いまのロシアをめぐる状況とのつながりについても聞いた。

 文中に出てくる丸カッコ内の4ケタの数字は、在ソ連日本大使館発の公電の通し番号を示す。一連の文書は外務省外交史料館のサイト(https://www.mofa.go.jp/mofaj/annai/honsho/shiryo/shozo/ikan.html別ウインドウで開きます)で、「令和4年12月21日の公開文書本文」→「ソ連非常事態宣言(1991年)」で見られる。

 ――公開されたファイルには、91年8月19日未明のソ連クーデター発生時からの公電がつづられ、当時モスクワの日本大使館にいた佐藤さんが作ったものもあります。

 まずいかに慌てていたかだよね。最初の6本の日付が本文で間違って18日になっていて、決裁する上司も直していない。それで実際は19日朝に電話をして得た情報が最初の公電(5230)。リトアニアのソ連派共産党(当時は独立派と分裂)の第2書記はクーデターをテレビで知ったと言い、ロシア共産党第2書記イリイン氏の補佐官レオーノフ氏は「党は緊急会議を開いている」と答えた。ソ連の15共和国の各共産党にはつながりがあるが、リトアニアのソ連派共産党幹部は知らないという一方で、ロシアの幹部たちは予測していたようだった。つまり、ソ連の改革ペレストロイカで共産党独裁の放棄などを進めてきたゴルバチョフ氏を排除しようと保守派が動いたが、それは少数で行われソ連全体には及ばないのではということで、私は頭作りを始めた。

「ゴルバチョフはモスクワにいるか」陰謀中枢への接近

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この記事を書いた人
藤田直央
編集委員|政治・外交・憲法
専門・関心分野
日本の内政・外交、近現代史

連載外交文書2022(全20回)

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