1995年のニューヨークと2022年の東京 小説家・青山文平寄稿

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 江戸時代を舞台にした時代小説を執筆する青山文平さんに、まもなく終わる2022年を振り返ってもらった。

寄稿・青山文平(小説家)

 あおやま・ぶんぺい 1948年、神奈川県生まれ。2011年『白樫(しらかし)の樹(き)の下で』で松本清張賞。15年『鬼はもとより』で大藪春彦賞。16年『つまをめとらば』で直木賞を受賞。今年、『底惚(ぼ)れ』で中央公論文芸賞と柴田錬三郎賞をダブル受賞した。

 私が初めてニューヨークの地に立ったのは1995年の冬でした。いまとなっては信じがたいのですが、当時のアメリカ経済は最悪で、一人当たりGDPは日本の65%。1ドルはなんと80円を割る超円高。街は荒れ、私もティファニーの真ん前で、悪名高いボトルマンに剃刀(かみそり)をちらつかされてゆすられました。セントラルパークは観光客が足を踏み入れる場所ではなかったし、一丁目と八丁目は絶対に行ってはダメという意味で、“いちかばちか”などと言われた。折からの大寒波で街は凍(い)てついたようで、ダコタハウスの前に立ったときは、ジョン・レノンはなんでこんな所で逝かなければならなかったんだろうと感じたものでした。

 それから、27年。日米の経済力は完全に逆転し、最新のレートで計れば一人当たりGDPはアメリカのわずか半分。為替は一時は1ドル150円を超え、いまも予断を許さぬ状況がつづいています。こうした数字だけを見れば、2022年の東京が1995年のニューヨークになったっておかしくはありません。でも、銀座和光の前で恐喝に遭うことはまずないだろうし、日比谷公園でくつろぐことだってできる。相変わらず、東京に足を踏み入れてはいけない街区などありません。円安による物価高とはいえ、まだ治安の悪化を招くほどには追い詰められていないからとも言えるのでしょうが、江戸時代の中後期を舞台にした小説を書いている私は、そこに日本人の文化が現(あら)われているような気もしています。

 中期よりあとの江戸は、地方から出てきた流動民が人口の多くを占める百万都市でした。自給自足ならば食うことだけはできたであろう百姓が、カネで暮らす世の中になって借財がかさみ、田畑を離れざるをえなくなっていったのです。当然、江戸での暮らしも楽であろうはずがなく、張り巡らされた運河に、水死体を目にするのは珍しくなかったようです。食うや食わずで、明日は大川に身を投げているかもしれない連中が、土間を入れても四畳の裏店(うらだな)に身を寄せ合って、今日はへらへらと笑っている。そんな、いつ弾(はじ)けても不思議はない社会だったのです。

 けれど、江戸二百六十余年の…

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