日本の経営者は何を失ったか 「失敗の本質」共著者が大切にしたこと

元朝日新聞記者・安井孝之
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 旧日本軍の誤りを分析した「失敗の本質」の共著者として知られる一橋大名誉教授の野中郁次郎さんが1月25日、死去した。89歳だった。組織論の立場から企業経営のあり方を論じ、日本企業の再生を願い続けた。

 「失敗の本質」が有名だが、終生、探究したのは「成功の本質」である。会社がどのようにイノベーションを起こし、新しい価値を生み出すかを研究し続けた。

 その原動力は「米国へのリベンジ」。疎開先で米軍の機銃掃射にあい、間一髪で逃げた。「『必ずいつか米国に勝つ』と心に刻んだ」と日経新聞の「私の履歴書」に書いた。

 就職後、米国に留学したのも米国に勝つために米企業の経営を学ぶのが目的だった。

 初めてお会いしたのは2012年。「失われた20年」の中で日本企業がもがいていた。「日本の経営者はHOWばかりを語る」と嘆かれた。

 米国流に経営分析をし、理詰めで経営手段を考える経営に日本企業は傾斜していた。何のために会社はあるのか、なぜこの仕事をやり抜くのか、とWHAT、WHYを考える経営者が少なくなっていた。

 1972年に留学から帰国し、野中さんも米国流を信じていた。革新的な新商品を生み出していた当時の日本企業を意気揚々と訪れた。開発者らは「私はこれがやりたいんだ」と口々に言う。米国流の分析やデータはなく、個人の直観や主観から、イノベーションが生まれていたのだ。

 その気づきが、言葉になる前の「暗黙知」を巡って、組織の中で対話を繰り返し、知識が生まれるという「知識創造理論」へと発展した。

 80年代半ばまでの日本の優良企業は各部署が「アジャイル(機敏な)・スクラム」を組み、開発に取り組んだ。その強みも論文にして世界に発信した。

 だが日本では米国流をまねて、専門組織に細分化。一方、米国ハイテク企業は野中さんの論文でアジャイル・スクラムを学び、成長した。「日本は米国の物まねばかり」と残念そうだった。

 昨年10月、私にとって最後の野中節を聞いた。YKKグループ90周年の集いで、メッセージ映像が流された。少しやせられたが、声は力強い。

 「御社の経営は机上で構築されたものではなく、実践で磨き上げられたもの。もちろん流行(はや)りの横文字経営に踊らされることもありません」

 日本企業よ、自信を持ち、挑み続けろ! そう鼓舞しているように聞こえた。

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