福島とつながるまで活写 只見線工事の一部始終8年撮り続け

白石和之
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 冊子「只見中線建設記録」には、JR只見線大白川(新潟県魚沼市)―只見(福島県只見町)が開通する1971年まで、その工事の一部始終を8年にわたり撮り続けた写真が収められている。新潟と福島が鉄路でつながるまでの全記録だ。撮影を始めたとき、魚沼市田中の佐藤道博さん(73)は中学2年生だった。

 自宅裏の魚沼田中駅は、市内の小出―大白川が開通した9年後の51年、仮の乗降場として設けられた。狭い待合室があるだけの小さな駅。小学生の頃、そこを発着するSL(蒸気機関車)の音をとても頼もしく感じていた。

 急勾配を上って隣の越後須原駅に向かうとき、煙突から「ボッ、ボッ、ボッ」という排気音がした。重たい貨物を引っ張るため2両連なったときには、「ポーポッポ」という独特な汽笛が鳴った。自宅で聞いていて音の違いに気づいてから、只見線にのめり込んでいった。

 小学5年の頃、父のカメラで初めて列車を撮った。中学1年の頃、大好きな只見線が赤字路線だと知った。まだ、大白川―只見は未開通。橋脚の建設が進められながら太平洋戦争で中断したままだった工事は、中学2年の頃に再開された。

 「記録に残し、多くの人に知ってもらいたい」と思い立ち、母が作ってくれるおにぎりを持って月2回ほど撮影に出かけた。大白川駅まで只見線で行き、未舗装の国道252号を歩いて工事現場へ。放置されていた橋脚に新しくコンクリートが巻かれ、線路が敷設されるところを写していると、福島とつながっていくのを実感した。

 進学した市内の小出高校には、バス通学の同級生が多いなか只見線を使った。「乗客を奪うバスは敵だと思った」。卒業して東京の会社に就職した後も、夜行列車で帰郷し小出駅から只見線の一番列車に乗って現場に通い続けた。そうして撮りためた写真からえりすぐりの約180枚を、鉄道好きの仲間が今年初め「只見中線建設記録」にまとめてくれた。

 沿線は豪雪地帯で、県境の六十里越峠付近では5メートル以上の積雪がある。国道252号は例年12月から5月の連休ごろまで通行止めになり、冬の唯一の交通手段が只見線だ。今回の全線再開に「つながっていることが大切なんだ」。佐藤さんはつくづくそう思う。

 福島方面に向かう一番列車は小出駅発朝5時半ごろが予定されており、再開後もダイヤの利用しにくさは変わらない。「みんなで知恵を絞って只見線を守っていかなければ」。乗客数が気になり、到着した列車をのぞきに魚沼田中駅へ時折足を運んでいる。(白石和之)

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