新潟市「日本海交流都市」は看板倒れ、金沢市に遅れ
11月に開業40周年を迎えるJR上越新幹線をめぐる「宿題」が二つある。15市町村による「平成の大合併」を経て、2007年に誕生した政令指定都市・新潟市の初代市長の篠田昭は、そのうちの一つに「本当に頭にきた」とぼやく。それが、新潟駅周辺の連続立体交差(立交)事業だ。
「『今ごろやって新潟市の財政は大丈夫なのか』と、合併地域にだいぶ言われた。やれなかった事情を知っているものだから、なおさら腹が立った」
事業は、在来線を駅の東西約2・5キロにわたって高架化するもので、線路で南北に分断された駅周辺を一体化し活性化させる狙いがある。それを長年やれなかった事情を、新潟日報社の記者だった篠田はこう説明する。
話自体は、上越新幹線開業前の80年前後からあった。だが、保守系知事の君(きみ)健男と革新系市長の若杉元喜(げんき)はそりが合わず、君はJR弥彦線の北三条駅(三条市)の立交事業を先にやった。89年に知事が金子清、90年に市長が長谷川義明に代わり、ようやく92年に新潟駅周辺の立交事業の共同調査が始まった――。
2002年に篠田が市長になった後も、県と市とでひともんちゃくあった。事業費のうち地方負担分は折半するはずだったが、04年、財政難の県が「指定都市になる市がもつべきだ」と一切の負担を拒否。市は「指定市移行に水を差す」と反発した。この年、知事が泉田裕彦に代わり、事態は何とか改善へと向かう。翌年、県が45億円前後を支援することで市と合意し、06年に事業に着手した。
しかし、07年に市が県から引き継ぐと、事業の見直しなどで遅れが生じ、06年時点で707億円だった事業費は966億円に膨らんだ。市はそのうち276億円を昨年度末までに負担し、今年6月に全線高架化にこぎ着けたが、旧ホームや線路を撤去し、事業が完了するにはさらに2年ほどかかる。
もう一つの宿題、新潟空港(新潟市東区)への新幹線直通化は手つかずだ。1991年、金子の下で県が策定した計画では、5~10年以内に実現させるか、着手を図る事業とされた。知事が平山征夫、泉田、米山隆一と代わっても可能性が検討されたが、2016年度の調査で概算422億円という事業費が高いハードルとなっている。
県と市は、空港アクセスなど広域的な交通政策は県が、市内交通の整備は市がそれぞれ担うと役割分担している。新潟空港や新潟港の活性化を含め、日本海側での都市の拠点性(優位性)を高めるプロジェクトへの市の発言力は弱い。
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金沢市8位、富山市33位、新潟市は42位――。森記念財団(東京)が全国138都市を対象に実施している「強み」や「魅力」に関する22年の調査結果だ。これを見ても、市が15年前、政令指定都市への移行時に掲げた「世界と共に育つ、日本海交流都市」の都市像は、もはや看板倒れとなっている。
上越新幹線の「ライバル」、北陸新幹線の15年の金沢延伸と歩調を合わせるように、小松空港(石川県小松市)の台湾(台北)便は利用者が増加。北陸観光との相乗効果もあり、18年度は12万8千人が利用した。
一方、新潟空港の台北便利用者は同年度で3万5千人。ウラジオストクなどロシア3便やホノルル便、グアム便は、利用者が振るわずコロナ禍前から運休している。中国、韓国に加え、ウクライナ侵攻でロシアとの関係も悪化した。
県や市などが出資して1993年に設立されたシンクタンク「環日本海経済研究所」(新潟市中央区)は、来年春で閉鎖される。調査研究部長の新井洋史は「環日本海経済圏の先行きはなかなか厳しい。積極的に前を向いていく勢いや弾みをつける要素がない」と認めつつ、「だからこそ」と付け加えた。
「地域の安全保障や平和という観点から、各国との関係を途絶えさせてはいけない。市民レベルの友好交流を続けるなど、どこかでパイプはつないでおく必要がある」=敬称略
新潟駅周辺の連続立体交差事業の経過
(年度)
1992新潟県と新潟市が共同調査を開始
98新潟駅周辺整備基本構想を公表
2001~04新潟駅周辺整備計画の素案公表。ワークショップなどを実施
05県が都市計画決定
06県が事業着手
07市が事業を引き継ぐ
18第1期開業。上越新幹線と在来線の同一乗り換えホームが完成
22在来線が全線高架化…
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