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偽プレスリリースに「認知作戦」の影 サイバー情報戦の謎に迫った

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編集委員・須藤龍也
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 その不可解な告知は、昨年9月29日に発表された。

 「第三者による当社名でのプレスリリース配信について」――。ロシアのセキュリティー企業・カスペルスキーの日本法人が、公式ウェブサイトに異例の広報文を掲載した。

 それによれば、外部のプレスリリース配信サイトに、カスペルスキーが発表したかのような体裁の文書が掲載されたという。「当社は関係ありませんのでご注意くださいますよう、お知らせいたします」と呼びかけた。

 「文書」はこの時点ですでに削除されていたが、つてを使って入手することができた。

 日本語で書かれた文書は、主に個人情報を盗み取る目的の不審なメールについて、注意を呼びかける内容だった。いわゆるフィッシング詐欺だ。

 セキュリティー企業が発信する内容として、一読した限り不自然さはなかった。カスペルスキー社の会社ロゴや連絡先も記載されていた。

 しかし文章をよく読むと、所々に違和感を覚えた。「意識を高めてメールを寄せ付けない」「非常に現実的に偽装されています」と、見慣れない日本語の表記が散見された。

 同社の広報担当者に聞いた。

 担当者は「自社が発信したものではありません」と断言し、なぜこのような文書が掲載されたのか、困惑している様子だった。

 プレスリリース配信元の運営会社はカスペルスキー社が指摘するまで、同社からの依頼であったと思い込んでいた、という。

 つまり、カスペルスキーの名前をかたり、何者かが発信した「偽情報」ということになる。

 これは一体、何が起きているのか?

 取材を進めると、日本と台湾を舞台に偽情報が飛び交う、「情報操作戦」とも言える実態が見えてきた。安全保障に詳しい専門家も、ネットを活用した「ディスインフォメーション(偽情報)」による「対日影響工作」の一端が初めて明らかになったとして、注目する。

 その一部始終を追った。

標的は台湾の有名企業?

 この偽プレスリリースをもとに、発信者に結びつく手がかりがないか、ヒントを探った。

 一点、気になる記述が見つかった。フィッシングメールの発信元だ。あるウェブサイトのドメイン名(所属組織などの名前)とIPアドレスについて具体的な記述があった。

 試しにドメイン名とIPアドレスをキーワードに検索してみた。すると、別サイトの日本語の記事がヒットした。

 記事は「驚いた! 日本人の個人情報が公開される」というタイトルで、昨年9月17日に投稿されていた。カスペルスキーをかたる偽プレスリリースが投稿される10日前の日付だった。

 新たに見つかった記事も、フィッシングメールに関することで、中身は偽プレスリリースとほぼ同じ要素で構成されていた。ただし、カスペルスキーの名前はなく、匿名の投稿者だった。

 偽プレスリリースにはない要素もあった。台湾の大手セキュリティー企業が名指しされていた。

 企業の名前は「TeamT5」という、インテリジェンスの世界で知らない者はいないという有名企業だ。

 TeamT5はアジア地域、特に中国系のハッカーが仕掛けるサイバー攻撃の調査で定評があり、欧米の情報機関や日本の捜査当局も頼りにする。

 この記事には、TeamT5について驚くべきことが書かれていた。「政府役員、企業経営者、一般市民など大量の日本機関や組織の重要な人物を対象にフィッシング攻撃をしていた」というのだ。

 「攻撃」の発信元として挙げられていたのが、偽プレスリリースにも書かれていたIPアドレスだった。これが検索でヒットしたのだ。

 同様の記事は、別の複数のサイトでも見つかった。投稿された時期も9月中旬と集中していた。

 うち一つのサイトの記事は、「驚き!日本国民の個人情報が再び盗まれ、背後には台湾政府が暴露」というタイトルで、今度は台湾当局が関与していると言わんばかりの内容だった。

 これらの記事が投稿された直後、匿名掲示板「5ちゃんねる」には記事を紹介するスレッドが複数、作られていた。

 記事を拡散する狙いがあることは明白だった。

 常識的に考えて、TeamT5が日本国民の個人情報を狙ったり、台湾当局が攻撃に加担したりすることは考えられない。無関係な情報を組み合わせて引用した痕跡も取材で確認した。明らかな偽情報と思われた。

 これまでの取材結果を整理すると、偽情報は日米欧の政府機関も頼りにする台湾のセキュリティー企業、TeamT5の評判をおとしめることが目的と考えられた。

 さらに日本で偽情報を広めるため、知名度のあるカスペスルキーを名乗った偽プレスリリースが発信された、ということだろうか。

混在する「本物」と「偽物」

 TeamT5に事実を確認するため、取材依頼のメールを送った。ただ同社は普段、メディアの取材にほとんど応じていない。そこで、日本の有力なセキュリティー専門家に仲介を依頼した。

 専門家の「旧友である」という、TeamT5のチーフアナリストが取材に応じるという返答がきた。

 同社も一連の偽情報を把握し…

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