朝日新聞社の元編集委員・外岡秀俊さん死去 著書に「北帰行」など

 ジャーナリスト・作家で、朝日新聞社の編集委員や編集局長・ゼネラルエディター(GE)を務めた外岡秀俊(そとおか・ひでとし)さんが12月23日、心不全のため死去した。68歳だった。葬儀は近親者で行った。

 東大法学部在学中、石川啄木の足跡を追う青年を描いた「北帰行」で文芸賞を受賞。1977年に朝日新聞社に入社し、新潟支局、学芸部、ニューヨーク特派員、論説委員、ヨーロッパ総局長を歴任。2006年に東京本社編集局長・GEに就任し、戦時下の報道責任を検証する連載「新聞と戦争」を企画した。その後、編集委員を務めた。

 11年に退社後は、東日本大震災や沖縄問題、国際問題を中心に幅広く取材するジャーナリストとして活動。北海道大学公共政策大学院上席研究員も務め、朝日新聞北海道版でコラム「道しるべ」を執筆していた。著書に「地震と社会」などのほか、小説では中原清一郎名義で「カノン」などがある。

 問い合わせは朝日新聞社広報部(03・5540・7617)。

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 外岡秀俊さんには小説家としての顔もあった。東京大在学中の1976年、「北帰行」で文芸賞を受けてデビュー。同じ年には武蔵野美術大在学中の村上龍さんが芥川賞に決まっており、相次ぐ学生作家の受賞が話題になった。

 朝日新聞社入社後は小説執筆を休止していたが、退職後に中原清一郎の筆名で本格的に執筆活動を再開。「カノン」(2014年)、「人の昏(く)れ方」(17年)を発表した。

 河出書房新社の雑誌「文芸」元編集長で、「カノン」の担当編集者だった高木れい子さんは、「人間とは何かといった大きなテーマを、決して観念的ではなく、日常と地続きのところから書き起こしていく。新聞記者らしく膨大な取材力に基づいた知識を決してひけらかすわけでなく、物語へ昇華していく。ますます成熟した作品を読めると楽しみにしていたのに、残念でなりません」と突然の死を惜しんだ…

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