渋沢栄一、儒教の教えを近代に 利益と道徳の両立で社会をつくる

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西田健作
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 「日本資本主義の父」と称され、生涯を描いた大河ドラマ「青天を衝(つ)け」が放送中の渋沢栄一は、儒教の経典「論語」を指針とした。なぜ、封建制度を支えた儒教の教えを、近代に採り入れようとしたのか。

 儒教の始祖・孔子(前551?~前479)は、中国・春秋時代の魯(ろ)の思想家だ。動乱期に理想の政治を追求したが、政治家としては不遇で、晩年は弟子の教育に努めた。儒教は漢が前2世紀に国教化したとされ、以後、清の20世紀初めまで中国の王朝支配を正統化してきた。中国では、仏教や道教と共に三大宗教の一つに数えられる。

 儒教の道徳に「五常」の「仁義礼智信(じんぎれいちしん)」がある。早稲田大学の渡邉義浩教授(中国古代思想史)は、孔子がこの中で重視したのは、「仁」と「礼」だと説明する。「分かりやすく言うと、人としてどうあるべきかが『仁』、社会の中でどう生きるかが『礼』です」

 一方、基本とする人間関係に「三綱(さんこう)」「五倫(ごりん)」がある。「三綱」は父子、夫婦、君臣の関係で、「五倫」は長幼、朋友(ほうゆう)が加わる。親に「孝(こう)」を尽くすことが最重要で、臣下は君主への「忠(ちゅう)」が求められた。妻は夫に、年少者は年長者に従う。儒教は秩序を重視し、体制維持に役立った。

 孔子の没後に、孔子や弟子の言行を全20編約500章にまとめたのが「論語」だ。渡邉教授はその成立を前漢(前202~後8)とみる。宋代の12世紀に朱熹(しゅき)によって四書五経の経典に格上げされた。渡邉教授は「『論語』は東アジアで最も読まれた古典。それぞれの解釈で内容を説明する『注』によって理解されてきた。論語の読み方は様々で『注』は古今で3千種類はあると思います」と話す。

 日本に儒教が広まったのは江戸時代だ。二松学舎大学の牧角悦子教授(中国文学・日本漢学)は、江戸時代と漢代は似ていると指摘する。「乱世には武力が必要だが、統一後は体制維持のために秩序と理念が必要になるからだ」

 徳川幕府は、朱熹が儒教を再解釈した「朱子学」を官学とした。牧角教授は「修身斉家治国平天下(しゅうしんせいかちこくへいてんか)」という言葉にそのエッセンスが詰まっているという。「まず、自分自身が儒教的な精神を整えて身を修める。それが家を整(斉(ととの))えることにつながり、国が治まり、最終的には天下国家を秩序づけることになる」

 江戸後期になると「寛政異学の禁」で朱子学以外が禁止され、朱子学がさらに広まった。「各藩の武士は藩校で、庶民は寺子屋で学んだ。『論語』を通じて、身分に応じた道徳理念や清廉の思想を身につけた」

 その一人が、豪農の家に生まれ、武士、官僚から商人に転じた渋沢栄一だった。牧角教授は「渋沢も、まず修身が大事だと繰り返し言っている」と話す。

 渋沢の考えは『論語と算盤(そろばん)』(1916年)に記されている。講演をまとめたもので、2010年出版の『現代語訳 論語と算盤』(ちくま新書)が60万部発行されるなど、現在も広く読まれている。

 同書の訳者で作家の守屋淳さんは、企業経営者が注目する理由の一つに、08年のリーマン・ショック以降に欧米流の強欲な資本主義が行き詰まりを見せていることを挙げる。「原点に返り、日本人が資本主義を導入したころに重視していた価値観を振り返ってみようということではないか」

 大蔵省を辞めて実業界に転じ…

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