(千田先生のお城探訪)焼けては改修 最先端実現
千田嘉博・城郭考古学者
金沢城(下)
現在の金沢城に天守はない。しかし前田利家時代の1586(天正14)年には天守があったと確認できる。翌87年に利家は遠方からの武士を天守に案内したので、自慢の天守であったのだろう。この天守は利家没後の1602(慶長7)年に落雷で焼失したが、2代藩主の利長は翌年に天守代わりの「三階櫓(やぐら)」を建設した。この頃の金沢城は本丸と詰丸に藩主屋敷があって、天守が立つ詰丸と本丸を頂点とした典型的な近世城郭だったと推測される。
1620(元和6)年に本丸…
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