関東大震災で犠牲の朝鮮人を慰霊 きっかけは墓地に埋もれていた碑文

鶴信吾

 約10万5千人の死者・行方不明者が出た1923年9月1日の関東大震災で、混乱の中虐殺されるなどした朝鮮人を追悼する会が4日、千葉県成田市で開かれた。昨年建立されたばかりの慰霊碑を前に、地元有志ら約30人が犠牲者を悼んだ。

 追悼会は成田市で犠牲となった2人の朝鮮人を悼むもので、命日にあわせた開催は初。JR滑河駅近くにある共同墓地の慰霊碑で、乗願寺の住職が読経し、参加者が手を合わせた。

デマ原因に殺害

 成田市が2011年に刊行した「成田の地名と歴史」によると、震災後の9月4日、行商人だった朝鮮人2人が成田署に移送される際、当時の滑河駅(同市)で1人が機関車にはねられ死亡。もう1人が群衆に木刀などで殴打されて殺害された。「朝鮮人暴動」のデマが原因とされる。

 追悼会のきっかけは、発起人で下総郷土史研究会の杉原文哉さん(70)=同市=が一昨年、この墓地に埋もれていた碑文を見つけたことだった。幼いころ両親から地元で朝鮮人が殺された話を聞かされており、定年退職後に郷土史研究に力を入れる中で、朝鮮人虐殺の記録を探していた。

 見つけた碑文をもとに、昨秋、慰霊碑を再建。約60万円の費用の半分以上を自己負担し、残りは寄付などを募った。共同墓地の管理委員会に交渉し、墓地の一角も譲ってもらったという。杉原さんは「負の遺産として記憶し、二度と悲劇が起きないようにしたい」と話している。(鶴信吾)…

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