空襲から家族救った自宅防空壕 できれば残したい、でも
東京都杉並区の住宅街。マンションが立つ敷地の一角に、高さ1メートルほどの見慣れない構造物がある。ブロック塀から斜めにコンクリートがそり出し、上にふたがかぶせられている。開くと、地下へ続く階段が現れた。大人1人が通れるほどの階段の先に、暗くひんやりとした空間が広がっていた。
「昭和18(1943年)ごろ、祖父が造ったと聞いています」。敷地を所有する主婦の瀬村孝子さん(74)は話す。階段先の空間は、太平洋戦争中に使われた防空壕(ぼうくうごう)だ。
地下2・5メートルほどの深さに、広さ10平方メートル、高さ2メートルほどのコンクリートの部屋が広がる。天井はアーチ状で壁には漆喰(しっくい)が塗られ、通気口や井戸もある。戦時中は、コードで電気も通していたという。火が迫ったときに逃げられるよう、出入り口は2カ所あった(1カ所は戦後に取り壊した)。
ここにはかつて、瀬村さんの実家があった。その庭だった場所に防空壕がある。実業家だった祖父は、知人らと人力で穴を掘ったという。出入り口についた鉄の扉は金庫を再利用したものだ。
防空壕に救われた家族の命。記事後半では実際に現存する防空壕の様子や所有者たちの思い、保存が難しい背景を紹介します。
東京が初めて空襲を受けたの…
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