大谷翔平、松井超えの32号 原点はバドミントンだった

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 大リーグ・エンゼルスの大谷翔平(27)が7日、レッドソックス戦に2番指名打者で先発出場し、五回の3打席目で今季32号となる右翼へのソロ本塁打を放ち、2004年にヤンキースの松井秀喜が記録した日本選手の1シーズン最多の31本塁打を塗り替えた。

翔平少年のパワーの源

 いつも体を動かしている。大谷翔平は、そんな子どもだった。「お弁当をつくって、近くの公園や河川敷に行って。要は、いかにお金をかけずに遊ぼうか、っていう」と、母の加代子さんは振り返る。

 3人きょうだいの末っ子は、とにかく元気。二つ上の姉、結香さんが買ってもらった自転車には先に乗れるようになり、転んだのか、どこかにぶつけたのか、姉が一度も乗っていないのに壊したこともある。野球を始めたのは、小学2年の秋。地域の硬式野球チームに入ったときだ。

 「野球を『やれ』とは言われていません。自然とやっていました」

 父の徹さんは、社会人野球の元選手で、7学年上の兄、龍太さんも野球をしていた。身の回りにバットやグラブがあると、興味を持つのは当然だったのかもしれない。

 野球と出会う前は、二つのスポーツに親しんだ。まず、バドミントン。これは、高校総体や国体に出場経験がある加代子さんの影響が大きい。大谷が生まれたころは趣味として続けており、練習にもよく連れて行っていたという。

 幼稚園の年長になると、スイミングスクールにも通った。後に岩手・花巻東高校で先輩になる佐々木大樹さんは、一緒にバドミントンや水泳をしていた幼なじみ。「翔平のスマッシュは速いし、水泳も僕が6年生のときは、4年生の翔平が同じコースで泳いでいました」。運動能力の高さを、間近で感じていた。

 「バドミントンも水泳も好きでやっていたので、どの道に進んでもおかしくなかったとは思いますけど、一番最初にみたときに、かっこいいな、と思ったのは野球でした。一番自信もありましたし」

 ただ、タイミングを計って羽根を打つバドミントンと、体力づくりや関節を柔らかくするにはもってこいの水泳。どちらも、野球とは無縁ではなかった。

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