巨石だらけの大阪城、ルーツは瀬戸内に 今も眠る残念石

有料記事

木下広大
【動画】江戸時代の技法で石を割る藤田精さん=木下広大撮影

 豊臣秀吉が築き、徳川家が再建した大阪城(大阪市中央区)。その玄関口となる門の石垣に、幅11メートル、高さ5・1メートルの巨大な一枚岩がある。城から100キロ以上離れた瀬戸内海に浮かぶ香川県の小豆島から運ばれてきた巨石だ。

 「大手見付石」と呼ばれ、城内4番目の大きさを誇る。大阪城は全国の城の中でも巨石が多く、最も大きい「蛸石(たこいし)」は幅11・7メートル、高さ5・5メートル。10番目までのほぼすべてが小豆島や犬島(岡山県)など瀬戸内産。高松市の庵治町や丸亀市沖の塩飽諸島などからも石が運ばれている。

 なぜ、わざわざ遠い所から重い石を運んできたのか。一つは船に載せたほうが陸より運搬が楽だからだ。島の石切り場は海に近く、城までのほとんどの道のりを水上で運べた。中でも小豆島など瀬戸内の島々には、石垣に適した丈夫でサイズが大きな花崗岩(かこうがん)が豊富にあった。

 城の再建にかかった期間は10年。これがきっかけとなり、小豆島や丸亀市沖に浮かぶ広島など県内各地で石材産業が発展。現在も石文化が根付いている。

 だが、そもそもなぜ、大阪城にそれほど大きな石を使う必要があったのか。背景には当時の政治的な思惑があった。

 「当時の幕府と大名には緊張…

この記事は有料記事です。残り1013文字有料会員になると続きをお読みいただけます。

※無料期間中に解約した場合、料金はかかりません