適応障害で乃木坂46を卒業 私はカウンセラーになった

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川村貴大
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 「最近仕事どう?」

 きっかけは、友人からの何げない一言だった。当時、アイドルグループ・乃木坂46のメンバーだった中元日芽香(ひめか)さん(25)は、「楽しいよ」と答えることができず、言葉を失った。

 思考が完全に止まり、出てきたのは涙だった。糸がプツンと切れたような感覚だった。

 その日の夕方、ライブのリハーサルに行くことができなかった。翌日、現場に行こうとすると足がすくみ、涙が止まらず、家から出られなかった。

 それから、現場に行けないことや精神的に不安定な状態が続いた。

 告げられた診断名は「適応障害」だった。

やればできる子

 乃木坂46の1期生オーディションに合格したのは2011年8月。当時は広島で暮らす15歳の中学3年生だった。

 小学1年生の頃から地元のダンス教室に通い、4年生でアクターズスクールに入ってからは歌も習い始めた。

 特別な才能はないけど、やればできる子。自分のことをそう思っていた。

 オーディションの合格発表の直後に待っていたのは、大きな挫折だった。急きょ発表された「暫定選抜メンバー」に選ばれなかったのだ。

 乃木坂46のメンバーは原則として、シングルの表題曲を歌う「選抜メンバー」と、それ以外の「アンダーメンバー」に分けられ、新曲リリースのたびに顔ぶれが入れ替わる。

 歌番組への出演など、グループとしてのメディア露出は選抜メンバーが中心となる。

 初めは自分がアンダーメンバーであることを受け入れられず、熱心に活動に取り組むことができなかった。

 神経性の不調が症状として現れるようになったのは、加入して間もない頃だった。

 「みんなでレッスンルームで…

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